うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

香港へ/出航! 香港が呼んでいる!

▼一九九四年のこと。僕は三年ぶりで、香港に旅行することになった。それまでは新婚旅行を皮切りに(といっても、今までまだ二回しかいってないけど…)うずらヒヨコと行動を共にしていたが、今回は違うのだ。パソコン通信の、香港が好きな人が集まる小さな部屋〔香港フリークホームパーティ〕(以下HKF-HPで知り合った〔一撃必殺〕さんと仲良しになった。で、その一撃さんと一緒に香港に行こうと、計画したのだ。一二月に行くのはHKF-HPの主催者の香港フリークSさんの毎年の渡港にあわせてのことだ。だが僕たちが合わせて行くことは内緒にしてビックリさせようというイタズラも含んだわくわくする旅なのだ。


▼ 二六〇〇円は瞬間に消失するのだ
 今日はかなり早く起きた。なんと四時だ。妻は徹夜をしたようだ。といっても編集作業をしていたわけではなく、僕への指令のメモを作成していたらしい。一九九四年一二月一〇日五時二七分、枚方市駅。三七分発の準急で京橋に向かう。京橋の緑の窓口で訊くと、この時間なら天王寺から関空快速に乗れということなので、天王寺へ。六時三九分発に乗る。座れなかったが、あっという間に関西空港に到着した。全くのフリーだがツアーなのでいつもと段取りがちがって戸惑う。一撃さんと待ち合わせ場所を決めていないので、果してうまく遭遇できるのか。今回の旅行はある隠密行動を目的のひとつとしている。
 九時二七分、通関を済ませ、後は乗るだけとなった。一撃さんが集合時間になっても現れないので一瞬ひやりとしたが、係からの説明が始まったころにニコニコしながら登場したので安堵した。関西空港の空港税、二六〇〇円は世界で一番高いらしい。航空の会社の受付カウンターの右奥に自動販売機が並んでいる。これでテレカみたいなカードを買うのだ。関西空港のキャラクター、あの飛行機みたいな地球儀みたいなやつが印刷されたカードだ。それをガチャコンと挿入し、電車の自動改札みたいに通る。
「二六〇〇円、これで終わりですワ、ははははっ」
 と、一撃さんはやや自嘲気味に笑った。アッという間にカードは電話もかけられない、鼻もかめない、ただの紙切れとなった。
 一撃さんは、今〔うえらんちゃん〕に電話を入れに行っている。うえらんちゃんについては後でくわしく述べるが、今、香港旅行中。我々と現地でちょっとだけ合流する予定なのだ。昨日も一撃さんはうえらんちゃんに電話したらしいが、うえらんちゃんは一人女人街に行っていて留守だったのだ。今度はうえらんちゃんとうまく話ができたようだ。着いてからもう一度連絡して今夜遊ぶかどうかの段取りを決める。
 一〇時三〇分、順調に飛行中。ただ、喫煙席だったので辛い部分がある。おしぼりがくばられ、一息つく。となりで一撃さんがガンガンHKF-HPへのレスを書いている。僕も一撃さんも使っているワープロ富士通OASYS Pocketという弁当箱サイズの小型のやつ。僕のが〔Pocket2〕で一撃さんは最新型の〔Pocket3〕だ。モデムも積んでいるのでこれでパソコン通信ができる。ホテルに着いたら電話線を使って即書き込みというわけだ。
 僕は関空で朝の分をアップしたので今のところ書くことはない。一撃さんは完全なタッチタイプの上、ローマ字入力だから、正にマシンガンのような打鍵だ。どうも今、僕へのコメントを書いている様子。本人が横にいると、けっこう書きにくそうだ。飲み物がきた。僕はJAVAティー。一撃さんはスプライト。一撃さんは初め「7UPないですか?」と言っていたのだがなかったのだ。なぜ7UPなのかと言うと、以前UAに乗って気分が悪くなったとき「薬くで〜」とブロンドの大柄なヤンキーガールスッチーに頼んだが「これを飲め」と言って持ってきたのが7UPだったのだそうだ。それ以来の7UP党らしい。

▼ 一撃必殺と呼ばれる男!
 一〇時五七分、そろそろおなかがすいてきた。朝早かったため、朝食をまともにとっていないのだ。ん? いい匂いがしてきたぞ。食事は思ったよりもおいしくて、満足。そばはもひとつだったが、それでも、若鶏の蒸煮とサラダ、そして和風のパイもおいしかった。一撃さんは、ロールパンを残したが、僕は全部腹のなかに収めた。いつも思うことだが機内食はどうして主食が三つも出て来るのだろうか? これは「自分にあったものをたべなさい」ということなのか? それとも「全部たべなさい」ということなのろうか? 僕は後者だと信じて必ず全部食べることにしている。食べられない場合は、パンを残して持ち帰るのだ。ちと、貧乏臭いかな? 今、一撃さんは今度は、ワープロを閉じてボールペンをにぎり、絵はがきを書いている。一二時三一分。
 パソコン通信NIFTY-Serveに個人で設定できる、伝言板というか、小さな部屋〔ホームパーティ(HP)〕というサービスがある。最大で一つの書き込みは一〇〇行までで、全体の書き込みは一〇〇〇行まで(つまり一〇〇行の発言ばかりだと一〇個)登録でき、HP設定者が設定したパスワードを教えた人のみが読んだり書き込んだりできるのだ。その個人運営のHPのひとつにHKF-HPというめちゃめちゃ面白いところがある。その名の通り〔香港好き〕が集まるところなのだが、雑然ゴチャゴチャ喧噪人種のルツボという正に香港そのもののイメージのHPなのである。書き込みが超活発で一日にリミットの一〇〇〇行を越えることもめずらしくない。だから僕は毎日、日に何度もそこにアクセスしている。そこで知り合った〔一撃必殺〕という物騒な名前の人と仲良しになった。名前といってもパソコン通信で使用するペンネームのような〔ハンドルネーム〕というやつだけど。パソコン通信で本名を使う人もいるけど普通の名前では印象が薄いとか覚えにくいのでみんな覚えやすい名前をつけるわけです。ちなみに僕はふだんからHAZZマガなどで使っているペンネームの〔うずらまん〕を使っている。で、その一撃さんと一緒に香港に行こうと、計画したのだ。
 一撃さんはソフト開発を生業とする、ギタリスト空手マン(独身/当時)である。す、すごい芸域が広いひとやなぁ。〔一撃必殺〕という物騒な名前は、空手からきているのだという。
 子供や妻の体調がくずれたりで、この計画も中止という危機感も先週まではあったが、もう安心だ。今回は僕にとっては三度目の香港。そして三年降りの香港だ。滞在日数も二泊三日と短いが、僕の内面で枯渇している香港エネルギーを充填させるためには、行かねばならないのだ! まもなくそうあと三〇分ほどで僕の心の故郷、香港に到着する。

▼ 究極のイタズラは果して成功するか?
 今回の旅の目的は、いくつかあるが、香港在住の知人に会うということもその一つだ。HKF-HPで香港在住のメンバーが今年後半になって一挙に増えた。だから今度はその人たちに会うという楽しみもあるのだ。
 僕の今回の旅の目的はほかにもある。香港からパソコン通信を行うこと。日本国内と様々な条件が違う海外でパソ通を行うのはちょっと難しい。けれどそれを成功させて、日本に居る友達を「あっ!」と言わせるのも面白いだろう。
 そして、最大の目的は、隠密行動。HKF-HPの主催者、香港フリークSさんの超ビックリ秘密迎撃だ。斎藤潔さんご夫妻が僕たちより一日遅れで香港にやってくる。そして斎藤さんは僕らが香港に来ていることを知らないのだ。待ち構えてホテルのロビーで迎撃し、ビックリさせようという予定だ。一撃必殺さんは先週社員旅行で香港に行ってきたばかりだし、僕は子供の入退院、ヨメの風邪引きなどトラブル続きで、まさかこんな時期に渡港するとは、夢々思うまい。ドッキリ計画は成功間違いなしなのだ。まさか、僕が病み上がりの妻と子供を残して香港に行くとは考えないだろう。さらに三日と開けず一撃さんが再び香港に行くとは、いかなフリークさんでも考えないにちがいない。この一撃さんとの旅行は、一撃さんの社員旅行よりも前に企画されたので、こういう段取りになり、それがうまく目眩ましになった。明日ホテルで待ち伏せする予定だが、フリークさんの呆気にとられた顔を見るのは、今からワクワクする。これは、僕の人生で、一番お金のかかったイタズラとなるわけだから是非とも成功してもらわねば困るのだ。
 ほかにも買い物もしなければならない。香港というとブランド物ショッピングのメッカだが僕にはあまり関係がない。僕が主に香港で買うと言ったら生活雑貨のたぐいと他には香港ポップスのCDがある。あとは妻からの指令に基づく買い物。これは後で電子メールでの追加指令が届くかもしれない。
 そんなことをぼんやりと頭に浮かべて行動の計画を練ったりしながら、指は愛用の超小型ワープロOASYS Pocket2をたたいていた。これでパソコン通信もできる。
「お客様、恐れ入ります…」
 スッチーが声を掛けてきた。もう着陸体制に入ったので〔電子機器の使用制限タイム〕に入っていたのである。離陸時は一撃さんが、そして着陸時は僕がスッチーに注意されてしまった。
 飛行機はやがて、香港と言えども一二月にしてはめずらしいむっとした熱気に包まれながら、ビル街の隙間を縫うようにして、啓徳国際空港に滑り降りていった。

▼ 達人一撃の入国審査突破、必殺の知恵!
 やたらと税関が混んでいた。一〇分経っても、二〇分経っても全く列がすすまない。一撃さんは素早くあたりを見回し、つつつっと進んで僕を誘導してくれた。
「列が痩せてるところが、早いんですワ」
 一撃さんは少しまじめな顔でそう言って、僕を振り返った。列が進まないと、どんどん後ろから押されて、だんだん膨らんでくるのだという。なるほどもっともだ。すいすいと人が進んでいるところがある。それは一番右端の、ローカルの人、つまり香港居住者が通るところだ。混雑は一向に緩和されない。だが一撃さんが選んだ列は少しずつだが進んでいる。そしてこの列の速さに拍車をかけたのはフロアに現れた、ちょっとティ・ロンに似た税関職員の静かにそして素早い指図だった。ローカルの部分で少しずつ外国人入国者を通し始めたのである。僕らもうまくその波に乗って早く通関する事ができた。
 さて、外に出たが、指示通り、団体出口へ。出た途端、うじゃうじゃうじゃの人。様々な旅行会社の係の人ので迎えの群れ。僕はポケットから安物臭い〔BESTツアー〕のバッヂを取り出し、胸に付けた。一撃さんは、「僕、そんなもんほってしまいしまたよ」と事も無げに言った。やっとの思いで人をかき分けて泳いで行くと、日本旅行の旗を持った係がいた。眼が落ちくぼんで、少し禿げはじめたキョンシーのような顔をしたその男は、僕たちを少し先へ誘導。しかし、要領よく通関した我々は集合人員のトップだったらしく、後続をしばらく待たねばならない。そこで係が交替した。今度は少しかっこいい。〔七〇%縮小された石橋貴明〕のようなそのニイちゃんは、トランシーバー片手に忙しく動き回っていた。ぼんやりとそれを眺めながら僕たちはだまって、員数が揃うのを待ちつづけるのだった。
 やがて、だらだらと赤毛の長いロックねえちゃんたちや、みょーに何かありげな若いカップル、そして一見危険そうな武闘派秋元康風・一撃さんと、すでに香港人と同化している僕・うずらまん他〇数名を乗せた不思議なチャーター小巴(ミニバス)はそれぞれの客をホテルに分散して送り届けるために出発をした。

▼ 神業を見せるスマート添乗員君!
 同乗の係員はさっきのキョンシー禿げ男でも七〇%縮小石橋貴明でもない、第三の男・眼鏡の本土エリート風スマートにいちゃんだ。
 なつかしい雑然としたビル街が車窓を流れていく。心が静かに安らいでいくのがわかる。
 小巴の中で様々な旅行中の注意がなされたが、僕らは全くフリープランなので、あまり関係がない。ただパスポートは「ホテルのセーフティボックスに入れておいたほうがいいです。特に赤いパスポートは盗られやすいです。香港ではこれ高く売れます。いくらぐらいになると思いますか?」たどたどしい部分はあるがかなり達者な日本語を操るのだ。「五〇万円になります」初めてここで小巴内にどよめきが起こった。そして「ほんなら売って、五〇万儲けて、盗まれたって言うて領事館に駆け込む方が得かも」そんな声があちこちであがった。さすが、関西空港からの乗り込み組。関西人の逞しさは香港人のそれにも負けない。ホテルの前で小巴を停め、スマートにいちゃんはそのホテルへの宿泊者を連れてチェックインしてから小巴にもどり、次のホテルへ。この繰かえしだ。だから最後の人は、一時間から一時間半かかると言っていた。僕らは三番目。尖沙咀の君怡酒店キンバリーホテルだからまだ始めの方で助かった。
 二番目の奥麗香港酒店オムニ・ザ・ホンコンホテルのとき、そのホテルへの宿泊客と係員を降ろして、小巴はいきなり発車してしまった。慌てたのは残った僕たちだ。運転手は薄汚れた紺と白の縞のポロシャツに擦り切れたベトナムズボン。モジャモジャ頭に三白眼と、胡散臭いことこのうえない。このまま、見知らぬ場所に連れていかれて、身ぐるみ剥がれて、ビクトリア湾の魚の餌となるのか、それともどこか異国の地へ売り飛ばされるのか、助けてぇ〜成龍ジャッキー・チェン!と、何〇年も前の魔界香港のイメージそのままの考えがカットバックしたりした。香港は大阪よりも交通マナーがひどい。歩行者は信号を守らないし、自動車も二重三重の迷惑駐車は当たり前。だからチェックインをしている間送迎小巴はホテル前に停車していたいのだが、二重駐車の外に停めることなど香港の尖沙咀チムサアチョイの路上では、ちょいと無理な相談だ。だから小巴は、尖沙咀から半島酒店ペニンシュラホテルの前を通って彌敦路ネーザンロードを上がって佐敦あたりでくるりと、左に折れて、また尖沙咀へ…とぐるりと一周回ってきたという具合だ。そこへチェックイン手続きを済ませた本土エリート風スマート係員が絶妙のタイミングで、軽やかにそして颯爽と小巴に乗り込んできたのだった。
 そして次に向かったのは僕らの君怡酒店キンバリーホテルだ。このホテルへ降りたのはは僕と一撃さんのみで他の客は一緒ではないようだ。入口から入ったところは右手にディスコ、そしてショッピングモールがある。ここは地下という扱いで、一階にあがるとここはレストラン街。日本料理店もある。そしてまだ上に上がる。二階がやっとロビーなのだ。おお、けっこう雰囲気のいいロビーだ。少し薄暗くて、上品だ。内装や調度品も悪くない。フロントは女性が多いが、みな若い。ただみな隙のない表情をしている。

▼ 仕掛けられた君怡酒店のワナ
 僕らは観光なしのまったくフリープランだから、最終日の集合時間を守ってください、ぐらいの注意事項だけで、すぐに開放となった。プラスチックのカードタイプの鍵を受け取り、九階へ上がる。九〇二号室と案内のカードには書いてある。ベルボーイは呼ばず自分たちで荷物を運ぶ。エレベーターはたいしたGを感じることもないままにでも、意外な速さで九階に到着。ひょっとしたら〔九階〕という名前の三階ではないのだろうかとも思えるぐらいだ。エレベーターを降りて、ウーンいいぞいいぞ。華美な装飾はないが、さりとてあっさりとしすぎでもなく、いい感じだ。踏みだした足の、絨毯の沈み具合もちょうどいい。
 左、左二回曲がって、突き当たり右が九〇二号室。さあ、荷物を降ろして、街へ繰り出そう。カードキーを差し込む。ノブを回す。ん?んんんんんん? 開かない。どうしたどうした? 僕は以前に油麻地のYMCAでも同じようなことを経験している。その時は金属の古めかしい、いわゆる鍵と錠前の鍵だったが、鍵穴が二つあり、通常使う方でない方が目立つ位置にあったために、それに一生懸命突っ込んで回していたのであった。だが、今回は様子が違う。カードキーを入れる鍵穴は一つしかないのだ。僕のでだめだから一撃さんのでもやってみたが、開かない。フロアを一回りして、ルームサービスを探すがあいにく控室にも誰もいない。一撃さんが、
「ぼくちょっと行ってきますワ」と、フロントに行ってくれた。待つ
こと数分。一撃さんがやや上気した顔で現れた。
「部屋が違いますワ! 九〇四号室」
 なんと、フロントが部屋番号を案内カードに書き間違えていたのである。初歩的なミスであった。一挙にホテルへの評価が二ランクダウン! でも、気を取り直して、部屋に入ろう。九〇二号から右へ二つの九〇四号、これが今回の僕たちの根城となった。
 部屋に入ってすぐ右にカードキーを差し込むポケットのようなものがある。ここにキーを入れることによって、電気系統のスイッチ類が効くようになる。ほほう、こういう仕掛けかぁ。僕初めて。間取りはこじんまりと機能的にまとまっている。ドアから小さい廊下。この左手はクローゼット。右はバスルーム。日本人にはありがたいバスタブ付きだ。それに洗面台は大きな鏡。とても広々とした印象をあたえる。部屋自体は八畳ぐらいだろうか。ドアから進行してきて正面に出窓。出窓が机になっている。窓から見える風景は、かなり汚い裏通り。雑居ビルの五階部分だろうか。幼稚園になっているらしい。こんな通りを歩くと靴の裏が、湿気た道を踏みしめ、少し部分的にぬるりっとする。これが僕の街という思いを、蘇らせてくれるのだ。そりゃ綺麗なハーバービューもいいが、元来僕はこういう風景を眺めるのが好きなのだ。その出窓にテレビも置いてある。ありゃ、冷蔵庫がないぞうこ? 冷蔵庫はなぜかバスルームの洗面台の下に隠してあった。つまり便器の横です。セイフティボックスはないので、貴重品はフロントに預けなければならない。これ面倒だなぁ。

▼ 二人のアリバイ工作開始!
 一撃さんはさっそく電話回線のチェックにかかった。電話線はベッドの裏からきているらしく、モジュラからコードを抜き差しして使うのは難しいようだ。幸いにして電話機もモジュラジャック式で本体とコードが分離できるものだったので、本体からコードを抜いてアダプタをかまして使用することにする。一撃さんの調査の結果この君怡酒店キンバリーホテルの電話線は日本の一般の二線式と違って四線の外側二線を使用しているということだ。そのままでは使えないが一撃さんが、変換アダプタを作ってきてくれていた。見た目よりもとても器用だ。一撃さんはPocket3を取り出し早々にテストを開始。CompuServeの香港のポイントから入る。何のトラブルもなしにログイン成功。HKF-HPへの書き込みとログを落としてログアウト。僕も一撃さんの指導を受けながら挑戦。僕のはPocket2だからAutoComという超便利多機能なDOSベースの通信ソフトは使えないので、OASYS専用のパソATを使う。何度か失敗しながら、最適な設定を模索し、オートダイヤル→手動ログイン→手動運転→手動ログアウトという方法で通信するのが一番いいということになる。僕もHKF-HPへ書き込みログを落とした。香港フリークSさんは成田前泊を楽しむ旨が書き込まれている。しめしめまだこっちの動きには気づいていないぞ。
 さっそく落としたログのレスを書きはじめる二人。何せ日本にいるように見せかけないといけないので、レスはかかせないのだ。しかし、少し前から書き込みに細工を施している。一撃さんは〔出先からです〕とか書いてるし、僕は朝、関西空港からの書き込みにはいつものサインの〔ヒラカタ〕の文字をはずしてあるし、今さっきホテルに着いてからのやつは〔OSAKA〕の文字もはずした。細かい文章へのヒントの挿入は僕も一撃さんも二、三日前からやっているし、カンのいい人、推理のするどい明智くんならわかるはずなのだが…。簡単にいくつかの書き込みへのまとめレスを書いてHKF-HPへアップしておいて、小銭をポケットにねじ込み、買い物と晩飯へと出発だ。そうそう、両替もしなければならないが銀行は果して開いているのだろうか? とにかく一撃さんは、
「何がなんでも佐敦ジョーダンの裕華(中国製品百貨店)に行くでぇ」
 と、低い唸りをあげている。ある筋からの情報で〔足の裏叩きハンマー〕がそこに売られていると聞いていたからである。一撃さんは、足の裏健康法に今一番注目しているのだ。我々は無事にハンマーを見つけることができるのだろうか。そして、僕も裕華に行きたいある特別な目的があるのだった。

▼ 恐怖!! 空中を浮遊する男!
 ホテルを出ると一撃さんはすたすたと歩いていく。僕はまだよく土地勘が戻っていない。しかし、何度かくねくねしながらどうも佐敦ジョーダンとは反対の方向に歩いていっている気がする。彌敦道ネーザンロードに出た。おお、我が街だ。やっぱり香港島方向に歩いている。だけどあまりに自信ありげに歩いている一撃さんを止めることはもう誰にもできないのだ。地下鉄の入口がある。一撃さんはそこへ吸い込まれるように滑り込んでいった。(尖沙咀から佐敦まで地下鉄乗るのん?)という疑問というか非難の心が若干存在した事実をここに告白しておくが、一撃さんは裕華にとり憑れているので、足が三センチほど宙に浮き、もう乗車券売り場で、
「トゥウェニーファイブダラーチケップリーズ」
 と言っておばちゃんから二五HK$の遊客記念票を買っている。僕もそれに倣う。香港島の幽霊屋敷で宜保愛子に付き添う新倉イワオの心境だ。数年前は大阪梅田の地下街を我が物顔で闊歩していた僕だが、最近は遠ざかっていたため、得意なはずの地下での土地勘も鈍ってしまった。佐敦でMTRを降り、地上へ出たはいいが、全くのここはどこ?わたしは…状態になってしまった。その間も宙に浮いた一撃さんはすたすたすたと通常の三倍のスピードで歩いていく。必死でついていくのだった。
 とにかく裕華までやって来た。一撃さんは、一階の薬売り場でハンマーを探す。僕は上の健康器具売り場にあるのかと思ったが、薬売り場にあるのだという。果してそれは一番右のショーケースの左端隅でみつかった。少し年配のおじさんを捕まえて英語で話しかける一撃さん。しかし、おじさんに英語は通じない。となりの怪しい薬の瓶を出してくる。困っているので横から僕が助け船を出す。「ハンマーやんかハンマー」なんとかどの商品をさしているのかはわかったようだ。一撃さんはそこで香港ドルを持っていないことを思い出した。そこでカードを使おうとおじさんに言うが、全く通じない。おじさんは少々おびえながら、別のおじさんを連れてきた。今度のおじさんは、英語ができるのだ。助かったぁ。以下やりとりを英語で…なんて書けないから日本語で書く。
「このハンマーを買いたいねん」
「はいわかりました」
「えっと、香港ドルの持ち合わせがないので、カードで払いたい」
「はい、かしこまりました二五HK$です…え、ええっ? この金額でカードお使いに?」
「は、えとえと…」あせる一撃さん。
「はははっ、ジャパニーズ円でお支払いいただいて、香港ドルでお釣りをということもできますが」
「あっ、そう。ほんならそれで頼んますワ」
 結果的にこの方法が適切だった。後で銀行に行ったが、今日は休みだった。それにホテルの両替よりも、レートが良かったのだ。(裕華は一HK$=一三円、ホテルは一HK$=一四円)

▼ 僕の究極の買物!
 おじさん、一撃さんのゴールドカードをふと返すときに裏返して見て、顔写真が載っているのを発見。その話で盛り上がる。やがてお釣りが運ばれてきた。無事ハンマーを購入した一撃さんは、やっと憑きものが落ちたという感じで普段の柔和な顔に戻った。さて、次は僕の番だ。一撃さんはひょっとすると他の店だったかもしれないと、ここに来て弱気な事を言ったが、僕はそれはそれで構わないと思った。とにかく上へ上へと急いだ。以前、僕はそれを文房具売り場で発見している。しかしそんな感じの売り場はなかった。他の裕華かもしれないし、他の中国系デパートかもしれない。だが工芸品売り場でなんとなく僕を引きつける一角がある。本当は工芸品趣味は一撃さんの守備範囲なのだが…。僕はある種のエネルギーに強い力でぐいぐいと引っ張られていった。
 いかにも、アンティークな工芸品の売り場に僕のようなラフな恰好の若造は不釣り合いだが、そんなことには構っていられない。眼鏡をかけたおばさん店員に尋ねた。
「ろぶん、はいぴんと!」
「?」
 羅盤ロブンが通じないようだ。羅盤とは香港社会で現代のビジネスにも応用されている〔風水〕という方位学に用いる方位磁石である。
「コンパス、コンパス」
「コ…、オー、コンパス!」
 おばさん店員はやっとわかったようだ。そして、案内してくれたショーケースの中に果してそれはあったのである。
 実は一撃さんも先週の香港旅行で羅盤を購入している。だが、僕はもうかれこれ四年も前から欲しくて欲しくてたまらなかったのだ。
 ただ、その値段の高さに手が出なかったのである。だって自分が泊まっている中級ホテルの一泊の値段よりも高かったからだ。当時で七〇〇〜八〇〇HK$していた。とてもじゃないが、僕の小遣いでおいそれと買える額ではない。一撃さんが先週買った中型のものでも五〇〇HK$以上したという。 おばさんがショーケースから出してくれたのは本当にアンティークな作りの木製の羅盤だった。これは雰囲気が抜群にいい。欲しいと思ったが、実用的な物でさえ五〇〇HK$からするものを、こんな工芸品扱いの、木製の物など高価で買えるはずがない。そう思って、半ばあきらめかけたとき、ふと値札を見て、眼が釘付けになった。二三五HK$(約三〇五五円)だ。一万円以上すると思って覚悟していたものが、それも雰囲気抜群のものが、三〇〇〇円ちょいなのだ。思わず「買う買う買う!」と叫んでしまった。おばさん店員は僕の笑顔を見て気をよくしたらしくて、その判断基準というのはよくわからなかったのだが、何個かあるうちで一番きれいなのを選んでくれたようだ。僕はこれだけで後は何が起ころうとも、この旅は成功したと世界中の誰にでも胸を張って言えると確信した。

▼ ラッキーチャンスを逃すな!
 僕も支払いは日本円で、お釣りを香港ドルでもらうことにした。するとお釣りとレシートを手渡しながらおばさん店員は何か言っている。どうも、このレシートを持って上の階へ行けというのだ。そこで福引をやっているという。おばさんは英語が達者だったわけでもなく僕らが廣東語が達者だったわけでもない。どうして理解できたのか、今思い出せないが、そうわかってしまったのである。
 階段を登る途中で、一撃さんの眼が怪しくなってきた。そして足元を見ると、もうすでに二センチぐらい浮上している。階段にミクロネシアンが作ったような木彫りの壁飾りがあったのである。この人ほんまに、工芸品に眼がないけど、集めてる物バラバラちゃうかなぁ。でも今日は手持ちの香港ドルが少ないのと、先週の香港でシコタマ土産を買ったので、今回は買わないという自分なりの目標というか信念というか、スローガンというか、そういったものを立てているようなのである。少し涙ぐみながらの一撃さんのオシリをつついて、さらに階段を登った。
 上の階に行くと奥まったところで、おじさんとおねえさんが、レジを前にして座っていた。そこでレシートを渡すとレジを打ち、レジの横の箱を指さした。これが福引らしい。日本の八角形だかのぐるぐるガラガラ回す福引とちがって、なんでも派手好きな香港人にしては飾りっけひとつないただの箱だった。そういえばこの大福引会場も、あっさりとしていて飾りつけもなければ、係のふたりがハッピを着ているということもない。賞品の展示もないし、派手な音楽もない。なんだか淋しいぞ。
 日本でガラガラタイプ以外の福引というと、スピード三角くじと相場が決まったいる。あれを引いて自分で開くのがすごく楽しいのに、最近の場合は、担当のおばさんがハサミを持っていて、引いたくじをいきなり取りあげて、お節介な、行き過ぎサービスで、チョッキン!と切ってひろげてくれるところがよくあるが、あれって嫌いだなぁ。ハズレでもなんでもいいから、自分で初めにみたいものだ。箱の中に手を突っ込むと、なるほどプラスチックのチップ、カジノで使うあのチップが入っていた。ジャラジャラかき混ぜて一枚引いた。黄色のチップだった。打ち直したレシートと何枚かの紙をくれた。試しにもう一回引こうとしたが、ダメという。金額で回数が決まっているようだ。このへん日本とシステムは同じ。レシートの打ち直しは、同じレシートで何度も福引をさせないためだろう。「なんやハズレか、割引券じゃあなぁ」旅行者には、あまりメリットはないかもしれない…、ん?ん? 良く見るとそれは割引券ではないぞ。金額が書いてある。何枚かの合計は二七HK$! つまりこれは、裕華の買い物金券なのだ。
「なんや! これやったら、うずらまんさんの買い物待ってたら、ハンマーがタダで手に入ったなぁ」
 まあ、でも両替がわりになったのだから、買い物も無駄ではなかったのだ。

▼ 客のいない食堂は○か?×か?
 とりあえず、買い物をした僕たちは、二人同時に空腹に襲われた。とにかく何か食べよう。裕華からそう遠くない横町に入り、食堂を探した。あるある、気を張らないで食べられそうな食堂がいっぱいある。おお、以前何度か通った食堂もまだ健在だった。僕がカレーを頼んだら入っている野菜が全部生だったという、あの食堂が。できれば今回は別のところに入りたい。いや、別に嫌というわけじゃないのだが、いろいろ入ってみたいのだ。ほんとだってば。
 だが、どこももう夕飯で混んでいるのだ。どこに入ろうか。うまそうな所がいいが、さりとて待つのはもっといやだ。迷いながら歩いていると、ガラス越しの通りから見える調理場で美味しそうな料理を作っている店があった。少し覗くと、客がひとりもいない。店員というかその店の家族っぽいのが、座って暇そうに新聞などを読んだりしている。〔江南一品菜館〕というのが店の名前らしい。〔新派上海風味〕などという言葉も見えるからたぶん上海料理の店なのだろう。ただ、客が一人もいないというのが、スッゴクすっごく気になるが、とにかくとにかく空腹なので、もうままよ! とりゃ〜ぁ!! 一撃さんは空手チョップを連続一三回繰り出しながら、店のなかに突入した。僕も懐手で印を結びながらその後に続くのだった。
 すんごい暇そうな店員たちが座ってけだるく話をしているところへ僕たちは突入したわけだ。時刻はもうすぐ六時を回ろうとしていた。ところが、その時は空腹でとにかく何か食べたいから、僕と一撃さんはおかまいなしに、簡単なメニューを見て次々と注文を繰り出した。だいたい頼んだのは、えびの炒め物、魚の炒め物、たまごチャーハン、野菜とキノコと豚肉の炒め物、かしわのピリ辛炒めといったところだ。注文を聞きにきたのは口髭をはやした、四〇過ぎのおっちゃんと丸いコロリとしたおばちゃんで、おっちゃんは少し英語がわかるようだ。一撃さんがたまに英語で、そのおっちゃんにあわせて簡単な単語で質問をしたり、僕がおばちゃんに、
「んごはいやっぷんやん。かんとんわー、てんむめんぱ
 と怪しげないい加減廣東語で話しかけたりした。すると一撃さんは、
「な、何言うたん? いま廣東語で、何言うたん?」
 一撃さんは英語は達者だが、廣東語は、
「ほ〜め〜あ〜(おいし〜)」
 の一言だから、よっぽど僕が喋ったのが流暢に聞こえたのだろう。
「『僕は日本人です。廣東語はわかりません』って言うただけやで」
 だが、僕はこれと、「○○はいぴんと?(○○はどこや?)」ぐらいしか知らないのだ。
 しかしそれにしてもどれもこれもまた、実にうまい! そしてこちらが半皿ぐらい食べたところで次が来るという絶妙のタイミングで出されるので、これがまたうれしいのだ。特にたまごチャーハンが最高にうまいというのは、チャーハン者の僕にとってはこの上もなく幸せだ。二人は段々と無口になって、食事に集中した。

▼ 大満足の究極デザートとは!?
 ふと気がつくと、店のなかが慌ただしくなっている。ん? さっきまであんなに閑散としていた店が、いつのまにか、満席になっているではないか! そして、あちらこちらで宴がたけなわとなっている。あ、そうか! まずいから流行ってない店というのではなかったのだ。そういえば店に入ったのが五時五五分ごろだったから、営業開始まであと五分あったということなのらしい。僕たちは知らずにそこへ踏み込んだのだ。みんなが暇そうにしていたのは、嵐の前に、気を静めるためのそういう大切な時間だったのだ。そうだろうなぁ、こんなに美味しい料理を出す店が、流行らないわけがないもの。大正解の店だったのだ。一撃さんはビールをぐびぐび飲み、僕はお茶をちびちび飲み、かなり食べたので満腹になった。そこへ髭のおっちゃんがやっていてなにか言っている。どうも「デザートはいらないか?」と言っているらしい。
 大きさはどれぐらい?と身振りで訊いた。するとハガキよりも一回り大きいぐらいの長方形を作ってみせる。満腹だ。しかし未知なる食べ物への興味も捨てきれない。そこで一撃さんと半分コすることにして、一皿頼むことにした。やがて、それは運ばれてきた。なるほどハガキより一回り大きい。春巻き皮のようなものになにか具がはいっていて、キツネ色に揚げてあるのだ。晩御飯のおかずの時は、空腹に負けて全く忘れていたが、カバンから愛用の三五ミリポケットカメラOLYMPUSのXA四を取り出した。
 このXAシリーズは作家の池波正太郎、漫画家の水木しげるなどが取材用カメラとして愛用しているものだ。僕の使っているこのXA四はこのシリーズの最後に出たもので、露出関係は自動で、ピントがセミマニュアルだ。三〇センチ〜無限大まで七段階で調節できる。つまり三〇センチのマクロ撮影(被写体に接近して撮影すること)ができるのだ。だから旅のおともに最適で、食べた料理のスケッチ撮影したりする。巻き上げも手でするのでモーター音がしないし、シャッタースピードが自動でもかなり遅くも調整してくれるので、ISO四〇〇のフィルムだとほとんど普通の部屋の中ならストロボなしで撮れてしまう。観光客相手でない普通の食堂などでほかの客に迷惑をかけずに使えるところが気に入っている。最近の電動カメラではモーター音がギャラリーの視線を集めてしまうので邪魔になるし、一瞬ピントあわせのズレがシャッターチャンスを逃してしまうし…で、こういう旅の記録には向かないのだ。
 そのXA四でこのデザートをパチリッと一枚。ではさっそく食べてみよう。デザートを箸でというのも変だが、とにかく箸で一切れつまんでみる。がわはやはりパリパリッとしていて、少し熱いので注意が必要だ。おっ、中はアンコだ。あふあふらへろ、めひゃふまらぁ。(訳・熱々だけど、めちゃうまだぁ)これは、とても美味しかった。みやげに持って帰りたいぐらいだ。今日の晩御飯は本当に至福のひとときであった。店の名前を覚えておくために、店の前で写真を一枚。さて、腹も膨らんだので、一端ホテルに戻ろう。途中で、女人街を通るが廟街の方が気になったし、今日は夜店巡りにさいている時間がないのでさっと通り過ぎる。大牌档タイパイトン(屋台)で美味しそうなおやつがあったけど、破裂しそうに満腹なのでパス。一撃さんはかなり未練がありそうだった。しかし、ホテルへの帰り道にハッと気がついた。なんだかしょぼくれた感じがしたけれど、あれは廟街だ。地理的に言っても佐敦からの帰りに女人街を通ることなど西村京太郎ミステリーでも不可能なことなのだ。

▼ 超最終兵器〔うえらん〕の秘密
 君怡酒店九〇四号室に戻った我々は、まずHPのログを読み落としてフリークさんたちの動向をさぐる。成田空港でのショッピングモール散策などフリークさんたちが前泊をエンジョイしている様子が書き込まれている。思わず一撃さんと顔を見合わせてほくそ笑んでしまった。何食わぬ顔で、また僕たちはレスを書いた。
 次に一撃さんが〔うえらんちゃん〕に電話を入れる。食事に出る前にも一度入れたが不在だったのだ。うえらんちゃんとはHKF-HP関西支部(HKF-HP West)のアイドル的存在の、製薬会社勤務のOLである。二、三日前から家族を連れての親孝行香港旅行で香港に来ているという。ご両親と弟さんを連れての旅だ。近頃稀に見る感心な娘さんではないか。天候に恵まれなかったようだが、それでも精力的に観光地巡りを実施しているのだ。目頭が熱くなる思いだ。しかし、彼女はもう一つ別の顔を持ち合わせている。彼女はこの秋の渡港のときには、香港在住の日本人のコンパで、朝まで飲みまくり、歌いまくり、踊りまくり、暴れまくり、香港在住日本人のみならず、香港夜遊び人たちを震え上がらせたという猛者である。おまけに魔界インド壮絶悶絶旅行の経験もあり、廣東語も堪能な、女・沢木耕太郎を地でいく超パワフルメガトンOLなのである。で、ご両親は日本での習慣から、夜九時には眠ってしまう。あふれんばかりのパワーをそのまま放置したら、お尻に火を付けたベニー・ユキーデを幼稚園の園庭に解き放つよりも百億万倍ぐらい危険だ。九龍半島の平和のために僕らが、うえらんちゃんを引きつけておく間に、香港市民に平和な一時をプレゼントするというのが僕たちの作戦である。このあたり幼稚なわりには複雑な描写がつづいたが、ようは同じ時期に香港に来ているので「茶ァでもしばこけ!」とお誘いの電話を入れるというわけですね。
 しかし話変わるけどこの電話でも一撃さんがホテルにペラペラの英語を駆使して、難なくこなしていることに再度感動する。語学力というのは知識と経験から来る度胸というものが、結集されたものだが、世界各地を旅行した経験を持つ一撃さんにはそれが十二分に備わっているのだ。香港についての雑学的情報は辛うじて僕の方が今のところはたくさん持っているが、こと旅ということに関しては、一撃さんの方が役者が一〇枚も二〇枚も上なのだ。おまけに年齢も上なのだ。しかし今さら態度は変えられない。けれど正直、一撃さんの後ろに後光が射してみえた。思わず心のなかでそっと合掌をした。
 うえらんちゃんは外出中であった。
「親孝行旅行中にどこをほっつき歩いとるんじゃ?」
 一撃さんからため息にも似た台詞が口をついて出てきた。そんな一撃さんを尻目に、僕は日本にいるときよりも丁寧に、みんなの書き込みに対してレスを書いていった。幸いにして、誰もまだ我々の行動に気づいている人はいない。何せ香港フリークSさんの留守を守るHKF-HP支部長としての責任があるのだからがんばらねば。
一撃さんも、ため息を二七回ついたかと思うと、それを吹っ切るようにマシンガン式打鍵でHPへのレスを書きはじめた。それは、武道の極寒の水中寒稽古のように厳しいものがあるようだった。やがて、部屋の中は、廣東語のテレビと、ふたつのOASYS Pocketの軽い打鍵音だけが響く、とても落ちついた空気が支配する空間になっていった。

▼ 揺れ動く心、期待と不安の狭間で
 しばらくして、一撃さんがマシンガン打鍵で書き上げたレスをHPにアップしようと電話機からコードを抜いた途端に電話が掛かってきた。電話機からコードが抜き取られているにも係わらず電話が鳴ったのは、もう一台がバスルームにあったからである。一撃さんはその状況がよく掴めていなかったらしく、必死でNIFTY-Serveにアクセスしようとしていた。僕は電話に走った。直観したものがあったので、日本語で電話に出た。
「もしもし!」
「もしもし、あ、うずらまんさんですか?」
 やはり、うえらんちゃんからの電話だった。とりあえず電話で段取りを付けていたのは一撃さんだから、ここは一撃さんに花を持たせなくてはいけない。一撃さんを呼んだ。一撃さんは、
「あっ、そうか、電話かかってきてるからつながらへんのか…」
 と、ぶつぶついいながらやって来た。うえらんちゃんの都合もいいので、今夜ちょっと会うということになった。
「ホテルの部屋に来てもらうことにしましたワ」
 一撃さんはこともなげにそう言った。いくら超ド級メガトンOLとはいえ、うら若き女性である。黙っていればお嬢で通る女性である。そのお嬢メガトンOLのうえらんちゃんが、男二人の部屋に来るというのはあまりにも無防備すぎるのではないのか? 仮に何もなかったとしても、世間のみなさんはどのような想像をしてどのようなウワサが広まっても、どのような反論もできない状況ではないか。いくら海外でのアバンチュールとはいえ、ご両親と一緒の親孝行旅行中に、なんちゅう親不孝な行動を取る娘ッ子であろうか。僕は驚きと困惑とうれしさの渾然一体となった複雑な心境のまま彼女の到着を待つことになったのである。
 一時間ほどたった午後九時。運命の呼び鈴が鳴った。僕は飛んで行った。話し声がする。一応用心して覗き穴から外の様子をうかがった。そこに見えたのはまぎれもなく、うえらんちゃんであった。ドアを開けた。おー、二人いるではないか! 東映の時代劇で「ええい、野郎ども、たたっ斬っちまえ!」の〔野郎ども〕用心棒喰いつめ浪人の中に必ずひとりはいる貧乏暮らしでなんでそんなにふくよかなのっていうタイプのアゴから口回りに髭をたくわえた野武士風の男性がそこに、うえらんちゃんと並んで立っていたのである。え? ほんとに用心棒? それとも親孝行旅行というのは嘘で、この男性とアバンチュールだったの?の?の?とクエスチョンマークが乱舞したが、
「あ、弟です。暇そうにしてるから、連れてきました」
 なんだ、そういう事だったのか、安心。弟さんはバンドをやっているそうだから、一撃さんと話も合って、楽しいだろう。我々四人は、いよいよ香港の夜の街へ繰り出したのである。

▼ 英国式バーで喋くるシンデレラ
 彌敦道を香港島方向に下っていく。やはり香港は夜も元気だ。ネオンも相変わらずきれいだ。それにクリスマスイルミネーションがプラスされているからなおさらのこと。
 一撃さんは、ブルドッグの看板の店にスルリっと入った。〔マッドドッグス〕という英国風パブだ。僕は全くお酒が飲めないので、こういう店にはほんとに縁がない。だからめずらしくって楽しい。店は地下。階段を降りていく。中は本当にイギリスのパブだ。東洋人は皆無。しかし、我々東洋人に刺すような視線が飛んでくるわけでもなく、敵意は感じられないので安心。なんだせっかくコワオモテ二人も連れてるのによ〜、と『ツインドラゴン』の成龍ジャッキー・チェンの陰で偉そうにする泰迪羅賓テディ・ロビンのように、僕は鼻息を荒くしていた。
 奥のボックスが開いていたのでそこに落ちつく。僕は、メニューにソフトドリンクがないので他の人にあわせて取り合えずビールを頼む。このビールを前に僕が悪戦苦闘する間に、一撃さんも、うえらんちゃんも、うえらん弟さんも、どんどんいろんなビールや水割りやカクテルやを次から次に注文していた。
 あてに頼んだフィッシュ&チップスは本格的で美味しかった。うえらん弟さんは、第一印象の〔強面〕とは違い、とても優しい眼をした優しくのんびりとした青年であった。ここでは筆舌に尽くしがたいオモシロ話、香港や音楽やもちろんHKF-HPやその他世の中の森羅万象全てを肴にしてのはちゃめちゃ談義が延々約四時間に渡って展開したのだが…。この四時間の間に僕が消費したビールは最初のジョッキの三センチ分だけであった。
 彌敦道に出た。こんな時間でも、まだ人通りは多い。子供が歩いているのをちらほらと見かけるのも、日本と違う光景だ。さすがに、街頭の新聞雑誌売りの約半数は店をたたみはじめていた。バスもまだ動いているようだが、タクシーをうまく捕まえることができたうえらんブラザーズは、窓から威勢のいい廣東語をまき散らしながら(これ、うえらんちゃんの声ね)夜中一時の尖沙咀を旺角ムンコック方面のネオンの海にバビューンっと消えていくのであった。明日というか、正確には、今日の午前中には日本に帰る予定のうえらん一家。しかしガイドとうまくコンタクトできなかったらしく、まだハッキリ集合時間が確認できていないということであったが、大丈夫なのかなぁ。ちゃんと朝、起きられるんかな? しかし、そんなことは全く意に介すようすもないところが、超パワフルメガトンお嬢OLスーパーデラックス・うえらんちゃんたる所以であるのだなぁ。
 僕と一撃さんはまた、四時間の喋くりの余韻を楽しみながらホテルへの道をトコトコと徒歩で帰っていった。
 一撃さんもけっこう夜型らしく、まだ寝ないとは言っていたが、先に一撃さんが風呂へ行き、続いて僕が行って出てきたときには、すでに高いびきをかいていた。僕は、窓辺の机に向かって、今日一日の行動のメモを少ししたためるのだった。

▼ 今日の反省とまとめ
 今日は、第一日目にしては充実した日になったと思う。飛行は順調で、JALだったのでスチュワーデスのおねえさんはややマニュアル遵守の対応だったが、機内の食事は美味しかった。一撃さんの知恵と力と勇気で入国審査は素早く済んだし、ホテルへの到着もまあまあ、早かった。雨続きだったらしいが、なんとか曇ってはいるが、雨には会わなかったし(これ〔熱源〕一撃さんのお陰です。その代わり少々一二月にしては桁外れの蒸し暑さにはなった)、ウワサには聞いていたが、一撃さんの堪能な英語学力に感動できたし、僕の自分自身へのみやげである〔羅盤〕も買うことができたし、それによって裕華の金券も手に入れることができた。夕食は偶然から、気の張らない大衆食堂で思いがけなく美味しくそして満腹になれた。そして、夜は夜で、楽しい喋くりタイムだったし、街はクリスマスイルミネーションが綺麗だったし、言うことなしの日だったと思う。臨月に突入し留守番するのは悔しいし若干の不安もあるであろうに、快く旅立たせてくれた、我が妻にほんのちょっぴり感謝してから、ベッドにもぐり込むことにしよう。その前に妻の指令である『LEE』の切り抜きの買い物リストをとりだし、パラパラとやって、明日の行動の予習を怠らない僕であった。