うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

日記

▼この「ぎょぎょ〜む日誌」、面白がって読んでくれている人がいるのだろうか。カウンターは確かに毎日上がっている。でもあまり感想や疑問質問反論などが寄せられたことはない。う〜む。僕は書くことが好きだから書いているので、まあ反応はなくともいいわけだ。でもあった方がうれしいのは事実であるな。
 僕はこのような日記をいつから始めたのだろう。Webで公開する前にもミニコミ雑誌で書いていた。そしてその前にはノートに書いていた物を友人知人に見せていた。面白がって読んでくれる友人がいたのだ。
 僕は前にも書いたが日記が好きだ。と言ってもその人が自分の赤裸々な気持ちを綴ったようなものは苦手であくまでも発表を前提として書かれている物。そういうのを読むのが好きなのだ。だが実は自分では書くのはとても苦手だった。日記が書けるようになったのは高校生の後半から。書けるようになったのは肩の力の抜き方がわかったから。
 毎日書かなくてもいい。都合の悪いことは書かなくてもいい。絵を描いてもいい。多少はデフォルメしてもいい…この四つに思い至ったから僕の日記が続くようになったのだ。それと日付の入っている手帳にメモをつけるような感じで書くということ、詳細は書かなくてもよい、としたからである。
 日記を書けるようになってよかったと思うのは、自分の人生が意味ある物に思えるようになってきたということだ。というのも昨日ぐらいのことなら覚えているが、一週間前の今何をしてたかなんて思い出せないということにある日気づいて愕然としたのだ。一カ月前、一年前…一体何をしていたのかなんて完全に忘れてしまっている。これではせっかく生きているのにもったいないではないか。そう思ったのだ。それが簡単なメモではあるが日記があることによって実は脳味噌の奥にけっこうきちんとしまわれている記憶を引き出してくることができる。そうしたら辛かったことも楽しかったことも、過去の経験として今の自分に生かすこともできるし、楽しかったことは二度も三度も楽しむことができる。何か大きな目的があって生きているわけではないけど、ただ時間を過ごして目の前を物事が通り過ぎるのをぼーっと眺めているのではなく、自分なりにエンジョイするということができるのである。そうしたら次の日がやってくるのがまた楽しみになるということにもつながっていくのだ。…きっと。