うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

トイレの問題と余韻#1

▼昨日、トイレの水を流すレバーが折れた。なんと軸がプラスチックだったのだ。長年の使用でかなり疲労していたと思われる。そのため僕は底の栓に紐を取り付けてそれを引っ張る。だが陶器製の思い蓋を上げなくてはその紐が引けないので、子どもたちはバケツで水を流す。
 『すべてがFになる』の余韻を今日も噛みしめている。
 本当に面白かった。実は昨日はこの面白さについて文章にすることができなかったのだ。それほどの衝撃があったということかもしれない。自分の脳味噌の中を整理できなかったのだ。今日だって整理できているとは言えないが少しは落ち着いてきたので、少し書いてみたい。断片的な書き方になるけど…。
 なんといっても、最初の萌絵と真賀田博士の“面会”シーンで、もうぐいぐいと引き込まれてしまった。
 真賀田博士は犀川にとって、“ベクター教授”だな、と感じたのはあながち間違いではないようだ。これはこのシリーズを読み進めていくうちに明らかになるのだ。
 ラストのぼかした書き方がちょっと気になっているが…。
 萌絵はMacintosh SEを使っている。時代設定が一九九四年になっているというから、まだSEを現役で使っている人がいても不思議ではない。
 今日会社でブックエンドになっている、僕のSE(某女子大の払い下げのSE)の電源をちょっと入れてみた。System6のシンプルな画面が素敵。すぐ電源落としたけど(笑)。これでNICOLAが使えればなぁ…。
 この話の密室を生み出す仕掛けは、完璧にではないですがわかった。そしてBとDが孤独という意味もハッキリとは説明できなかったが、おぼろげながらわかった。そしてトロイの木馬ということも。セリフの上で、ある人物とある人物が交錯して語られるので頭パニくったけど、僕の推理とまではいかない予想と結末は符合していた。あの人とあの人は同じだということは最初からひらめいたのだ。しかし、僕の思考は犀川にも増してどんどん飛ぶので、間がありません。つまり人に説明できない。くやしいけど、それが、僕はこの物語にでてくるような“天才”ではなくちょっと勘が働くだけの凡人だということだ。