うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

我が家の二十年の記録をささえてくれた

▼今日は8時半ごろ起床。モンタナの小豆トースト。カフェオレ。カラザも起きたので一緒に。カラザは今日もひらパーのレストランでバイトだ。僕はヒヨコと用事でお出かけ予定。今日は2件あるのだけど、ヒヨコがなかなか起きない。困った。
 結局、今日は昼下がりに出掛けることに。天満橋のパスポートセンターへ申請に行ってきた。ヒヨコがなかなか起きなかったので予定が狂った上に、写真は家で撮ったのだけど、どうもプリントでトラブって出掛けるのが余計に遅くなった。中央を出たらもうほとんど夕暮れ。帰りの途中で[宮本むなし]で豪華贅沢うどんを食べる。@ 宮本むなし 谷町二丁目店
http://t.co/KtSG6gKn
 うどんの後、駅ビルのステーションモールに。元松坂屋。無印が入っているので寄った。来年のスケジュール帳は考えた末、やはり無印のにすることにした。雑貨屋にも寄る。買わなかったけど面白いものを一杯見た。ポラロイドカメラやそのフィルムも売ってた。もう外は真っ暗。でも時間は5時半だった。
 帰りにファミマに寄ってヒヨコがファミチキを買うという。チーズナゲット。帰宅してからぱくぱく。
http://t.co/yt3eSugw
 『面白半分 写真集』を欲しいという人、久しぶりに現れ。早速手配。
 今日、いつもフィルム現像とプリントをお願いしているお店に行ったら、引き継いでくれる会社があるので1月末で経営を譲渡するのだという。今日は奥さんしかいなかったけど、年末はバタバタするしお話しする暇もないかもしれないからと今日話してくれたのだ。店長が「開店当初から来てもらっているから」と僕が来たら話しておくようにと言ってたと。
 今、お店は赤字だとかいうことはないのだけど、やはり将来的に設備投資とかを個人店でやっていくのはしんどいのと、業界自体の将来にも不安があることなどから決めたそうだ。引き継ぐお店は複数の店舗を持っていて会社組織だからなんとかやっていけるらしい。
 ここのお店は、僕が結婚してこの街に住んで、すぐに開店した。だから我が家の子どもたちの写真は全部ここで現像してもらっていた。僕がこの街に住んでいる理由の一つもこのお店があったからだ。もう二十年ぐらいのおつきあい。何も言わなくても安心して頼める店だった。引き継いでくれるというところに期待したいがどうだろう。フィルムに力を入れてくれるだろうか。
 やはり写真はもう全部デジタルに移行してしまうべきなのか。フィルムで撮りたいのだ。すぐに結果がわからなくても、フィルムで撮るのとデジタルで撮るのは明らかに違うのだ。写真はただ記録できればいいというものでは決してない。デジタルでも面白い写真は撮れるようにはなってきたとは思う。でも、うまく言葉にできないけど、違う何か。その何かが僕は好きなのだ。
 こうやって街の写真屋さんはなくなっていくのだろう。これも時代の流れか。お店をやめるというのは、とても辛い決断だったのだろうな。店長は僕より少し若いのではないかと思う。まだ子どもさんも小さい。いろいろ考えた末だろう。引き継いで続けてくれるとはいえ、自分が作って育ててきた店。その先、どうなるかを見届けられない。
 このごろ、僕の周りで大きな変化がある。僕自身も仕事の上でも変わることになる。何もかもが不確定。将来的に不透明というような表現はもう耳慣れてしまったけど。
 とにかく、フィルムで写真を撮りにくくなるなぁ。どうしようかなぁ。
 今日の晩ご飯は関東煮。おいしかった〜。

 twitterでは書いていたのだけど、金曜日の夕方iPhoneFacebookアプリを閉じてから、実はFacebook断ちをしていた。メッセージが1本来たのでiPhoneのFBメッセージだけ見るアプリでそれは読んで返事したけど。いろいろ気になるっちゃ〜気になるけど、ならないっちゃ〜ならない。
 どうも今までやっていたことができないのはなぜかな?と思って考えてみると、圧倒的に時間が足りない。その時間を足りなくさせているものは何かと考えたとき、Facebookだと気づいた。
 twitterだとつぶやきっぱなしというのができる。タイムラインも流して見て深く入り込まないというのが簡単だ。けどFacebookは、そうさせない仕掛けがいっぱい。いやFacebookが「悪い」と言っているわけでは決してない。ただその仕掛けがFacebookから離れないよう上手く仕掛けられていると感心している。だからユーザは中毒になってしまうのだ。適度に使うということがかなりむずかしい。ずっと見てないと置いてきぼりになった気分にさせられてしまうようになっている。
 いちばん困ったことは、Facebookは楽しいということだ。楽しくなきゃ誰も使わない。遠く離れた友だちと、またその友だちを通じて友だちになった人と、距離や時間を気にせず交流ができる。普通なら知り合いになれないような人とも。これ、すごいことだし、とても楽しい。こうなってくると、一日中さして見たい番組があるわけではないのに点けっぱなしにしてしまうテレビと同じである。何かを考えたり、ただ脳味噌を休めるためのぼんやりとした時間を確保できない。しなきゃならないことしたいことができなくなる。新しいアイディアが生み出せなくなる。
 というようなことを、twitterで書いてみたら、同じように考えている人がいた。やはりFB中毒を自覚している人もいるんだな。いつの間にかFacebookを使うというより、Facebookに縛られてしまう生活になってる。いつでもどこでもというネットのこういうものは、だからこそ危険なのだな。
 だから、Facebookとは少し距離を置くことにしようと思う。果たしてそれがどこまで可能かはわからないけど。特にイベントがない限り、月水金だけにしようかな。読むのは。投稿だけはInstagramからとか、直接アクセスせずにできるからしちゃうだろうけど。ので、明日はお休みだ〜 と書いとかないと、すぐ挫折するので(笑) けど、その分twitterでつぶやくかも(笑)