うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

ねばらなない vs それは自由

▼寝正月ときめこもうと思っていたら、カシワ母が「正月三が日はお雑煮をたべなアカんねやろ!」と怒り出した。同居して初めての正月で僕らが朝起きないことが不満らしい。遠慮とワガママの使い方がどこかずれているからこちらもカチンッと来る。
 まあ、介護ヘルパー二級のライセンスを持つうずらカラザは「お年寄りの話は1/3だけ聞いといたらええねん」と。そうしないと身が持たない。
 母は自分の生活習慣を維持したいから一人暮らしをしてた。けどわが家のように全般にゆるい家には「ゆるい」というルールがあるのだ。まず「ナニナニせねばならない」ということはよくよく吟味する。ほとんど思い込んでいる場合が多く、本当は「ねばならない」ことはそう多くはない。電話は鳴っても「出なければならない」のが一般的な家庭の反応だろうが、わが家では「出ても出なくても良い」である。これは僕の友人でポポ星人のひらさわタクの家庭でのルール。これを知ったとき目から鱗が落ちたためわが家でも採用した。そうなのだ、電話はかけてくる方に用事はあっても受ける側には用事はあるかどうかはケース・パイ・ケースだし、当然出る義務などなく、出るのは権利であってそれを行使するかどうかは自由である。この例以外にもそういう「ねばならない」の思い込みは多すぎるのだ。お正月、元日ぐらいは雑煮を食べるが、それ以降は何を食べても自由だと思う。もちろん雑煮でも良い。けど雑煮を「食べなあかん」ことはない。だから僕は母に「何を食べてもええやん。好きなものを食べたらええねん」と反論した。母は「雑煮が食べたいから、用意してくれ」と言えばいいのだ。して欲しいことを「ねばならない」ことにすり替えるのは卑怯だ。そのあと口論となる。理屈が通らない話を展開するので、理詰めで諭す。
 それでも僕は母の雑煮を用意した。自分は安倍川餅を作ろうとして、作り置きの黄粉と砂糖をあらかじめ混ぜておいたやつを出してきて焼いた餅にまぶしたが、黄粉が変な臭いがする。味も苦くなってる。思わず吐き出した。母に意見したから罰が当たったのか? 僕の大好物なのに正月から災難。今日は日が良くないね。

▼ジャバール大西さんが昔の東映時代劇の水戸黄門シリーズのポスターをtwitterに上げてた。水戸黄門が悪代官をやっつけずにキングコングのような猿の妖怪などを相手に戦う映画があったのだ。こういうのを見ると『仮面の忍者赤影』ができても何ら不思議はないという感じがする。ここにもう下地があったのか東映…ということでしばし、知らない人とも赤影の話で盛り上がる。
 赤影の前に『ワタリ』があったと。実は赤影のBGMって『ワタリ』からの流用も多い。サントラCDにもそういう但し書きが付いて収録されてる。ワタリのさらなる映像化を白土三平先生が断ってきたことから忍者ものの企画として、赤影の企画は『伊賀の影丸』をまんまやりたかったところからスタートしたと聞いたことがある。
 赤影は映像化前提で原作マンガも同時スタートで、だから原作マンガ読んだらかなり内容がちがう。青影なんか赤影とほぼ同年齢だし、白影途中まで出てこないし、仮面はタダの布だし。それでもどちらも面白くできあがっている。原作のマンガが3巻で終了しているのは残念。もっと続いて欲しかった。
 『伊賀の影丸』は松方弘樹で映画化されているということ、『怪竜大決戦』で自来也が変身したガマを改造するのが前提で赤影にもガマを登場させたとの話も教えてもらった。

▼バイト帰りのカラザに頼んでスーパーカップを買ってきてもらって食べた。炭酸煎餅と一緒に食べるとうまうま。
 今日もネット半休だった。明日もそんな感じで。その方が精神的に楽(笑)