うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

顔の見えない年賀ハガキ売り

▼朝食はトーストとリンゴ。
 昼前に今日も枚方市駅方面にトコトコ歩いて行き、ビオルネのメガネ屋さんに行ってから、Seriaで少々買い物し。
 枚方市駅のコンコースUNIQLO前の臨時販売スタンドで年賀はがきを買う。110枚。このスタンド、上に貼り付けてるポップで販売員の顔が見えず、なんだかちょっと気味悪い感じがした。
 帰宅して仮眠。これで一日が終わったな。
 晩ご飯は昨日の続きで鍋。

▼晩ご飯の後片付け、洗い物をして、明日のカラザの弁当を作ってやった。僕は明日は所用で休みを取っている。さて、お風呂に入ろうかな。

▼近所のミニラボが店じまいということを書いたけど、フィルム写真を楽しむのもなかなか簡単ではなくなってきた。もとよりプリントはすでに何年も前からデジタルプリントになっていたわけで果たしてフィルムにこだわる意味があるのかということもあるのだけど、デジカメで撮るのと、また違った気分、この気分こそクリエイティブな活動には大事なものだと思うのだ。

何も高尚なことを言っているのではなく、簡単に言うとぞんざいな気持ちで作られた料理より、作った人が楽しんで創意工夫して作った料理の方が何倍も美味しく感じられるのではないか。それは良い意味での勘違いだということが半分は含有していることは承知の上だけど、でもやはり写真は衝撃的、感動的、不思議な、愉快な、悲しい…そういったものを記録する、見せるように固定するものだから、大切だと思うのだ。

そうだとすると、撮る人が写真というものに真摯に向かい合える道具がフィルムカメラだという場合もあるだろうし、rotringを使って描くペン画と油絵では道具が違うのでできあがる作品も違ってくるように、フィルムとデジタルでは違う物が生まれる可能性がある。極めて近づけることも今のデジタル技術では可能だと思うけど、それは仕上がったものの方であって、撮り手のモチベーションとしての差異があるのではないかなぁと苦し紛れの言い訳にも似た気分をゆらゆらと心の中で曲玉状に回しているところである。

僕はこれだけ追い詰められてもまだフィルム写真を切り捨てることはできない。これは優劣の問題ではないのだからしょうがないと思う。どっちも好きだけどね。