うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

信州の林檎

▼今日、信州から林檎が届きました。とてもうれしいです。ネットのお友だち、それもずっとずっと昔に少しカメラ関係で掲示板で言葉を交わしただけの方が、毎年送ってくださいます。送ってくださるのでお住まいがどこなのかは存じていますが、どういうお仕事をされていて、どういう方なのか、最近はこの林檎をいただいたときと年賀状ぐらいでほかに交流がありませんのでわかりません。でも毎年林檎を送ってくださいます。本場の林檎なのでそれはそれはジューシーで美味しいです。果物を自分からは進んで食べない僕が、皮を剥いて勝手に食べ出すほど美味しいのです。ほんとうにありがたいことです。感謝。

 僕は1996年ごろから自分のWebサイトを立ち上げました。本当は「HAZZマガジン」ホームページとして立ち上げ、そこに様々なジャンルの話題を集めたいと思っていましたが、実際にはそうなりませんでした。最初に作ったのは「うずまき中華」です。発足当初は「月刊 うずまき中華」といい、1カ月でコンテンツを総更新する雑誌スタイルでした。香港映画・香港ポップスを中心に中華文化圏のエンターテインメントな話題を扱う、雑文化の話題を扱うページでした。
 毎月8割のコーナーを全部更新は大変でそれでも年間10回程度は更新していたと思います。その次に作ったのは「ライカでラララ♪」というドイツのカメラ、ライカをテーマにしたページです。これはライカの半ば伝説化し、ブランド武装したそういうのではなくて、ひょんなことからライカを手に入れて、一眼レフには馴染めなかった僕が、一昔前のスタイルのこのライカで写真を撮ることが楽しくなった、それを伝えたいと思ったことで作ったものでした。

 そして、その派生で「面白半分」ができます。これはフィルム写真の一般的なフィルムサイズ「ライカ判」とか「35mm判」と言われるものを使いながら、感光する面積が半分の写真、つまりフィルムを倍に使える方式で、1960年代〜1980年代までに使われていたカメラ、これで遊ぶことを紹介するページです。僕の子どものころの「わが家カメラ」がこのハーフ判のリコー オートハーフというカメラでした。だからハーフにはなじみがありました。「面白半分」をやり出すきっかけになったのは某ネットオークションでオリンパスのペンというハーフカメラのシリーズのEE3というカメラを手に入れたことでした。

 そしてLOMO LC-Aというロシアカメラを使うようになり「Lomogeneize」というページも作りました。他にも作ったページはいくつかありますし、その後blogに移行していきました。その一部は今でもネット上で見ることができます。

 とにかく情報はネット上にはありませんでしたから、まず自分が知っていることは自分で発信して、知っていそうな人とネット上で交流して、情報交換して、お互いに繋がって。ネットが一番面白い時代でした。今はネット上にたくさん情報があります。玉石混交ですが。元々、ネットの世界はピュアなボランティア精神で、誰でも利用できることが基本でした。でもいろんな人が使うようになって良くなった反面、様々な意思が介在し、権利関係を主張するなど利権が生まれ、従来型のルールが流入してしまい、面白さはどんどん希薄になっていますね。そんな中でバイアスの掛かっていない正確な情報を見つける、またはそういう部分を見分けて底だけを得るなど使う側の技量が試される時代になりました。