うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

ありがとうございました

▼朝、7時過ぎにカシワ母の入っているホームより電話がありました。とりあえずホームへ駆けつけました。少し遅れてカラザも来ました。主治医が8時過ぎに到着。8時12分死亡確認。昭和3年生まれの90歳でした。
 会社、葬儀屋さんに連絡など事務手続きを済ませてから、ヒヨコを迎えに行きました。ホームの方で支度をしてくれるということでお願いしました。
 カラザが朝ご飯を食べてないと言うのでマクドへ。
 葬儀屋さんの寝台車が11時に来るのでそれまで時間を持て余します。

 TSUTAYAのT-SITEへ。本を3冊買いました。『定本 和田誠 時間旅行』『伝わる絵の描き方』『犬から聞いた話をしよう』椎名誠

 少し前から心づもりはしていたので、特に大きな混乱はありません。ただ粛々と進めるだけです。一番シンプルな家族葬にしました。宗教行事もしません。家族で静かに見守って送り出したいと思いました。だから弔問の人は呼びません。僕の会社から普通なら上司や組合関係が来てくれるし、社長名で電報もくれるんですが辞退しました。ヒヨコの母の時、父の時は普通のお葬式をしましたが、それは住んでいたのが地下(じげ)の村に近いところで親戚や近所つきあいが複雑にあったからで、カシワ母の場合はすっかりそういうのと切れていますし、呼ぶと言っても親戚1軒だけで特に普段つきあいのない、年賀状のやりとりぐらいしかしていないので後日知らせるだけで十分かと思ったのもあります。そういうしがらみを考えずに済むようにしてくれた母に感謝です。

 葬儀屋さんの高槻の安置所へ。実はいろいろと家族も疲れることが続いていたので無理せずにお通夜も省略です。少し母と過ごした後、帰宅しました。仮眠をしました。
 東京のタマゴは連絡はしましたが呼ばないことにしました。タマゴは引っ越したところで、また仕事が変わったところでもあり、先月親戚のお葬式で仕事を休んで後の調整が大変だったようだから、またいつでも帰ってきた時に手を合わせてくれればいいと伝えました。まだ死に目に会えるタイミングなら呼ぶのですが、亡くなってしまってますしね。心はどこにいても通じるとも思うので。

 シンプルにするお葬式ですが、何もないとさびしいので、安置所の祭壇に置くために小さい額に入れる写真を用意しました。母が自分で決めていた写真もあったのですが、今年の春に撮った写真を僕が加工して作りました。笑顔が良い写真で春に入院していたときのものをベースに、パジャマ姿を洋服に差し替え、ヘアスタイルを少し整えて、顔も少々薄化粧程度に手を入れました。表情がとてもいい写真なので、今後見たときに和めますし、この写真はとても作った僕自身が気に入りました。

 晩ご飯は外食産業に貢献することに。ヒヨコとケロケロ号でCoCo壱番屋へ。鶏(けい)ちゃんカレーの野菜・1辛にしました。おいしかった〜。カラザは出かけないというのでお持ち帰りで買って帰りました。