▼今日はバタバタした一日だった。自分のしなければいけない仕事はまったく捗らず、雑事に追われた。
まず朝、保育園で壁に掲示された写真の中から自分の子供たちが写っているものをえらばないといけないのだ。
打合せというのはどうして顔を合わせなければいけないのか。仕事の内容など詳細に文章にしてe-mailしてくれればいい。時間を浪費するのは嫌だ。早くからネットワーク化を進めているところでは、実際に一度も顔を合わさずにボクにe-mailが来て仕事が依頼され、データをe-mailで送信して校正、修正もe-mailで。納品も。最後まで顔を合わさない。電話も一、二度程度…などという場合もある。ボクはこの方が好きだ。だがこういうケースはまだまだ稀なのだ。
人と人が顔を合わすと理解しやすいというのは、必ずしもそうではない。顔を見ると完全に冷静な客観的な話ができなくなる場合が多いのだ。ただ、顔を合わさないコミュニケーションが誤解を生みやすいのも事実だ。いったんこじれると収拾がつかなくなる。
文章が理屈っぽくなっているのは、杜可風(クリストファー・ドイル)の『ブエノスアイレス飛行記』を読んでいるせいかもしれない。この本の文章が理屈っぽいというのではなく、ものごとをボクがいつもより少し時間をかけて考えているからだ。
布団にもぐり込む前、上の娘がパジャマでボクの顔色をうかがっていた。いつもなら、
「早く寝なさい」
と叱るところだが、今夜はその顔がやけに素朴な笑顔だったためボクは隣の部屋にカメラを取りに走った。照明はベッドサイド用の小さいランプ一つで、露光不足だとは思ったが、一眼レフのシャッターを二度切る。このカメラはキヤノンのT50という、電気式おもちゃ一眼レフの走りのようなカメラで、大友克洋のイラストですCMしていたので覚えている人もいるかもしれない。絞りだけをマニュアルにすることができる。当時ボクはこれが欲しかったが、結局簡単なバカポンカメラを買ってしまった。だが、十数年してこれを手に入れたのだ。古過ぎず新しすぎず、ほとんどオートでボクみたいな初心者にはちょうどいい。