うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

夜泣きの蘇鉄

▼カラザが出勤日なので会社までケロケロ号で送ってやりました。カラザは電車とバスで通っているが実はコースが「D」の字のような感じなんです。家からクルマで行くとほぼ直線コース「I」。だけど電車バスだと大回りしないといけない「⊃」。しかも土曜はバスの本数が少ない。だから土曜日出勤の日は送っていってやることが多くなっているわけです。決して親バカだけというわけではないのです。さて、帰り道ガソリンを入れておきました。

 お昼過ぎ、ヒヨコがガサゴソ起きてきて、
「堺の[妙國寺]へ行こう!」
 と言い出しました。このお寺の「夜泣きの蘇鉄(ソテツ)」というお話を昨日ヒヨコが突然思い出したからです。ヒヨコが小学一年生のころは堺市に住んでいました。そのとき学校で配られた郷土の歴史についての本にそのエピソードが載っていてすごく印象に残っているというのです。
妙國寺の境内には珍しい南国の植物ソテツが植わっていた。織田信長がそれを気に入り、そっくり安土城へ持って行ってしまった。ところがこのソテツが夜な夜な『堺に帰りたいよ〜』と泣く。気味悪がった信長が『そんな木は斬ってしまえ!』と刀で斬ったところ、血しぶきが飛んだ。そこで元の妙國寺へソテツを戻して植え直した」
 こんな話だったそうです。夜に泣くというのと、血しぶきがというのが恐くて恐くてすごく印象に残っていると。
 多少渋滞に巻き込まれたりしながら、妙國寺に着きました。手水のところの龍がなんかSFチックで面白い造形です。夜泣きの蘇鉄のほかに「堺事件」でも有名なお寺らしいです。
 拝観料を払い本堂に入って中からソテツやソテツの枯山水の庭、歴史資料展示館を見学。ボランティアガイドさんが付いてくれてくわしく説明もしてもらえて興味深く拝観できました。ソテツは大きかったです。そしてソテツの枯山水は見事でした。大ソテツは樹齢1100年と。妙國寺大坂夏の陣や太平洋戦争で何度も丸焼けになっており、土蔵が残っただけ。ソテツは幹の中に水分が多く、葉は焼けてしまっても木自体が生きていて葉がまた生えて生き延びてきたとのことです。堺事件のことなど興味は尽きませんが書き始めると長くなるのでまたの機会に。

 妙國寺から歩いて和菓子店[曽呂利]へ。ヒヨコが食べたがった「大鏡」を買いました。子どもの頃からヒヨコの大好物だと。

 そしてまたクルマに乗り込んでヒヨコの実家へと向かいました。雨戸を開けて風を通し、少し裏庭の雑草抜きをしました。でも追いつかないなぁ。暑さにまいってしまい、あまり作業は進みませんでした。水シャワーを浴びてなんとか気絶せずに済みました。

 そして、枚方へ帰りました。今日はもうどこへもいかないぞと思い、気を緩めていると、カラザから電話が入り、
「ご飯を食べに行こう、おごるから」
 というので、また出かけることに。近所でもいいのにドライブも楽しみたいということで、生駒南の[ステーキガスト]へ行きました。満腹以上食べてしまった(笑)

 帰宅して、シャワーにいってから、バタリアンと倒れて泥のように眠ってしまいました。