うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

巨大なツリーがかわいそう?

▼朝起きて、薄く扁桃腺のあたりが痛む。やばいかな。

 神戸の方で巨大なクリスマスツリーが飾られていて、それが森から持ってきた樹齢150年の木でそれを神戸のどこそこに移植したと。で、クリスマスが終わり撤去となって伐採、材木化されたらしく、それを残念がったり批判したりする人がいるようです。樹木だって生き物だからそのままにしていれば生き続けられて幸せだったのに、と。このできごと自体に興味は全くないのですが、こういうことにステレオタイプに「かわいそう」発言する人というのがいるのを目にするにつけ、その考え、脳から出てますか? 脊髄反射じゃないですか? と言いたくなります。いくつものツッコミどころがあるのですが、一つずついきましょうか。
 日本のように取って付けたみたいなイベントではなくクリスマス行事をを生活に根ざして行なっている国々では森のモミの木などを伐採してきて庭や室内に立てて使い、終わると捨てます。つまり今回の処置も同じ。
 樹齢150年だから、150年生きてきて、たった1イベントで使い捨てられたことがいけない? なぜでしょう? 生命の重さを言いたいのなら、生後半年の赤ちゃんは死んでもいいけど、100歳のおばあちゃんは死んでは気の毒なんでしょうか? そんなことはないです。どちらも同じ生命です。
 それに樹齢150年の木って、原生林の木じゃないでしょう(調べてませんが)。植林された木です、おそらく。ならば材木になる、間伐される、植木になるなど、その一生は人に最初から委ねられています。
 生きている木だからかわいそう? だったら生け花はどうなりますか? 門松は? 針金やロープで枝を縛り伸び方向を強制されたりする盆栽や庭木は生きたまま拷問されているのと同じではないですか?(僕がそう思っているというわけではなく、見方としてそういうことも言えるという例を示しています)
 もっといろいろ言えますがこれぐらいにしておきましょう。つまり悪くいうと人のエゴだし、良くいうと人がプランを立てて実行しているに過ぎないわけです。「かわいそうだ」というのは無責任で思慮の浅い脊髄反射です。お腹を空かしているからといって野良猫に餌をやる人はその猫が街に掛ける負担や迷惑まで責任を取れますか、そこまで配慮していますか、ということなんです。困っている人もいるわけです(その巨大なツリーに使った木をそのままにして誰が困るのかまでは調べていませんが)。
 ネットの投稿はこの脊髄反射型が多いですね。評論家ごっこをしたい人なんでしょうか。なんだか、いつもは様々な世の中の出来事を僕なんかが思い及びもしないシャープで思慮深くコメントできるような人が、生き物関係だとばしゅっと脊髄反射したりするので、いつもの冷静沈着高知能ぶりはどこへ?とか思っちゃいます。

 さて、今日はAmazonオンデマンドの出版で、ミドルエッジの『時空探偵マツ・de・DX』(原作 山本圭亮、作画 なかがわひろき)の第1巻〜第4巻が届きました。フルカラー版です。やはり紙の本で読むのはいいですね。特に漫画は。

 もう一つSONYBluetoothノイズキャンセリングヘッドホン、MDR-ZX770BNが届きました。これは今日は充電だけ。試すのは明日です。楽しみ。

 晩ご飯はチキンのトマト煮。めっちゃ美味しかったです。食後、ブッシュドノエルの残りをカラザと半分こして食べました。