うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

香港へ/極秘!香港ビックリ大作戦

▼ 足の裏にすべてを賭ける男
 朝は、昨日の就寝が、遅かったにも係わらず、七時過ぎには起床。しかし、一撃さんには負けた。日頃から空手で鍛えている人は違うのう。ささっと洗顔を済ませて、もうOASYS Pocketを猛烈な速度でたたいている。証券会社社員が取引先某大会社の社長令嬢と逆玉お見合いするため全身体ごとズボンプレスしましたみたいな澄ました真面目な表情で、きっと無茶苦茶おもろい事を書いているに違いない。
 さあて、今日は忙しいぞ。メインイベントの〔香港フリークSさん夫妻ドッキリ出迎え〕があるのだ。一撃さんと相談してフリークさんへのおみやげは、昨日の〔足の裏叩きハンマー〕に決定した。今年一年お世話になった、その日頃の労をねぎらうための店子からのささやかなお礼のしるしというわけである。足の裏バコバコ叩いて健康維持してちょうだい、というわけです。最近フリークさんは、パソコンに向かってHPへのレスやメンテナンスを行っているとき、無意識に呼吸をしていないというのだ。そして酸欠で息苦しくなって初めてそれに気づくという。かなり危険な状態にある。そのフリークさんの無呼吸連続打鍵は、日増しに時間が長くなっており、HPでちょっとしたトラブルが起こったりすると益々長時間化して、本当に危険な状態になっているという奥さんの談話もある。
 一撃さんは書き上げたレスをHPに送ってしまうと、今度は「あの、LEEの記事貸してください」と言った。一撃さんの今回の旅の、自分のためのお楽しみは実は〔足の裏マッサージ〕だったのである。テレビの香港特集版組で森本レオが実に気持ち良さそうに足の裏マッサージを受けているのを観た彼は全身に電撃が走ったように、イカヅチに撃たれた樹齢四〇〇年の杉の大木のように硬直してしまったという。
 自分の求める健康法は、(こ、これだ!)と思ったという。彼は小さいころから虚弱で、武道と数々の努力で現在の無敵の肉体を築き上げてきた人である。健康法にはかなりの経験とこだわりを持っているのだ。一撃さんはHKF-HPでも〔女性にもできる就寝前一〇分の簡単シェイプアップ、一撃流健康スクワットオンライン道場〕を開いて一大ムーブメントを起こしている。オフのたびに、卞拉OK屋であろうと、エスニック料理店であろうと、超一流ホテルロビーであろうと、ジャージ上下にセッタ履きでスクワットの実演指導に余念がない。それで、その一撃さんが〔てっさ〕の肝に当たったように全身痺れてしまった足の裏マッサージのことがLEEの特集に載っていたのだ。
 彼にとって今回の香港は〔足の裏〕が全てなのだ。足の裏を極めなければ、部下を裏切ってまで三日とあけずに再び香港にやってきた意味が根底から崩壊し、真の無に帰してしまうのである。一撃さんは半ば僕からLEEの切り抜きをひったくるように受け取ると、受話器を握って番号をプッシュした。おお、また一撃さんの身体が三センチ空中に浮遊している。こうなると僕の声などは全く彼の耳には入らなくなってしまう。もし入ったとしてもそれは脳味噌にまで伝達されずに全て脊髄の反射反応での相槌となるのだ。おお、また巧みな英語力を使って、会話を展開している。
「う〜ん、やっぱり日曜は休みか…、もう一軒ありましたね」
 彼は誰に言うともなくそう言うと、再び番号をプッシュした。しかし、つながったがそちらもだめだったようだ。予約がいっぱいらしい。最低一週間前に予約しないといけないという。しかし、彼はどうしてもあきらめきれなかった。ここであきらめればこの超多忙な時期に遅れている担当プロジェクトを全て放っぽりだして見捨ててきた部下に申し訳がたたないのだ。
 一撃さんの苦悩は深刻な様子だった。だが、僕の声など届きはしないのだ。しかし、じわじわと蚊取り線香が燃えるぐらいのゆっくりとした速度で、死んだ魚のような眼になっていた彼の顔に笑みが戻ってきた。
「そうや、マンダリンオリエンタルホテルがあった!」
 マンダリンにもそういうマッサージをしてくれるところがあるのだという。ここぞと決めていた所ではないが、この際、少しでも足の裏を揉んでもらわないと、男一撃引くに引けねえ状況なのでござんす。ここへは何とかうまく予約を入れることができたようだ。

▼ 指令!おわんとレンゲを探せ!
 では、後は僕の行動である。僕は妻からの指令により裕華で食器をさがさねばならない。そして、先程決定した、フリークさんへのみやげとなる〔足の裏叩き健康ハンマー〕を買うという任務もある。他にも、歯磨きセットを買わねばならない。たいがいホテルに置いてあるので、今回旅の荷物からはぶいたら、備えつけていないのだ。ひげ剃りもない。それらを仕入れに行かねばならない。これは行き慣れた屈臣氏ワトソンズへ行こう。それに香港ポップスのCDを買うという僕の最大の楽しみが残っている。僕は数年前から、香港のトップアイドル周慧敏ビビアン・チョウの大ファンになっているのだ。
 彼女は超かわいいし、歌もけっこううまい。僕は歌から好きになったので、他の人はやっかみでとやかく言う場合もあるが、歌はほんとにうまいと思う。切ない歌声がたまらないのよ。作曲も少しだがやって自分のアルバムに曲も入れている。他にも好きな歌手がいっぱいだし、妻にも郭富城アーロン・クォックという男性超美形アイドルNo.一の最新アルバムの購入を指示されているのだ。彌敦道の半地下のいつも行きつけのレコード屋に行ってみたい。さあ、そうと決まればぐずぐずしていられない。まずは腹ごしらえだ。最小限の荷物をショルダーに入れ、一撃さんと部屋を出た。まず、ホテルのフロントで貴重品を預ける。これけっこう面倒な手続きを踏んで貸し金庫のようなスタイルのセイフティボックスに入れるわけです。面倒だから僕のも一撃さんのもまとめて入れとく。僕は言葉がわからないなりになんとか苦労してこの仕事を完了する。その間に一撃さんは両替。
 朝食は本当なら粥屋へでも行きたいところだが、探す時間がないので、カリフォルニアスタイルと書かれた喫茶店というかレストランのモーニングに入る。ポテトフライとコーンとあと少しつけあわせてあった。悪評高き香港のコーヒーはアメリカンながらそれなりのコーヒーであった。とりあえずブラックで飲む。
 一撃さんは足揉みの時間が迫ってきたので、焦りはじめた。そして三センチ浮上したまま、マンダリンオリエンタルホテルのある中環セントラルへ向けて斜め四五度にかしぎながら三白眼で飛んで行くのだった。
 僕も妻からの指示の、LEEの香港特集記事の食器、おわんとレンゲをもとめて再び裕華へ行くために出発。今度は一人だが、彌敦道を尖沙咀からトコトコ歩いて行った。歩きながらきょろきょろするのが面白いのだ。僕のなじみの屈臣氏ワトソンズへ行き、セサミストリートキャラクターの歯磨き、歯ブラシを購入。他に変な物はないかと店内をぐるぐると見て歩くが、目ぼしい物があまりない。そのうちにまた歯磨き粉関係の棚の前にやって来てしまった。そこで、そうそう我が家の定番の〔黒人牙膏〕を買おうと思って手にして、ちょっと驚いた。あの、かなりコロニアル趣味の、えぐい顔の黒人のイラストが姿を消し、洗練された簡素なデザインにすり替えられている。う〜ん、あのエグイのが好きだったんだけどなぁ。ま、とにかく一本購入。ほかに、妻からの指令のひとつである〔廣生堂〕のクリーム、化粧水などを探すがそれもみつからなかった。さあ、また外へ出よう。すぐ九龍公園の前に出る。その前の電話ボックスから家に電話をかける。
「今、忙しいねん。あ、また指令を電子メールしたからよむように」

▼ 絶望の境地、お茶碗がない!?
 妻はいきなりそう言うと電話を切った。うーむ。九龍公園の彌敦道を挟んで反対側にパークレーンスクエアというのがあって、そこに成龍ジャッキー・チェンの経営するスポーツ洋品の店が入っていたのだが、内装工事かかなり大がかりな改造工事のため今はなくなっている。そこに入っていた店の何軒かは九龍公園側に新設されている同じパークレーンのショッピングゾーンに移って営業をしていた。その一番北の端にカバン屋があり、一撃さんの最新機内持ち込みOK小型トランクと同タイプのものが三八〇HK$から出ており、覗いてみたが、その一番安い三八〇HK$のでもけっこうしっかりした作りで、思わず買いそうになるが、今回はパス。
 そうこうしている間に裕華に到着。まず、薬売り場で〔足の裏叩き健康ハンマー〕を三本購入。一本はフリークさん、そして一本は僕らと同じく香港好きの妻の友達へのみやげ。彼女年に二、三回香港旅行をしているが、ちょっと入院中でしばらく来れそうにない。いつもは僕がCDの買い出しを頼んでいるのだ。そして最後の一本は僕が使うのだ。昨日と今日で一撃さんと僕がハンマーを買い占めてしまい、残りは一本になった。さて次は上だ。瀬戸物売り場だ。妻が指定した食器は、お茶碗、お皿、レンゲなどだ。
 妻指定の食器の模様は白地に花や蝶がカラフルに舞っているものだ。縁に赤いラインが入っている。全体の色使いがかわいい。まず、これを探すときの注意は〔バラバラ〕だ。けっしてセットでは置いてないということ。これはLEEの記事の中にも写真はあちこちにあったのを集めてきて撮りましたとハッキリ書かれている。だからお皿はお皿、お茶碗はお茶碗のところを探せ!ということなのだ。同じ模様の急須がまず最初に見つかったが、これはリストにはあがっていない。書いてないものは買わないほうが身のためだ。
 次に見つかったのは蓋付きの大きい湯飲み。これ香港のオフィスではみんな自分用のを持っていて仕事の合間にこれでお茶飲んでる。ちょっぴりあこがれるなぁ。けど、そんな感傷に浸っている暇はない。僕に残された時間はあとわずかなのだ。僕の脳味噌の中を時計のコチコチ音が段々と大きくなっていく。肝心のお茶碗が全く見当たらない。他の模様のお茶碗もないのだ。もうだめか…、とあきらめかけたとき、レジの後ろに並んでいるものを見て眼が止まった。レジの後ろには、店員以外入れないのかと思ったらそんなことはないのだ。そしてそこにお茶碗が壁一面に並んでいたのである。その中から無事に指定の模様のお茶碗とレンゲを発見。すかさず各五客ずつ購入した。ここでも、日本円で支払って香港ドルでお釣りをもらうことにした。

▼ ニンジャタートル店員との壮絶なバトル
 彌敦道の半地下のレコード屋〔精富唱片公司〕で僕の大好きな周慧敏ビビアン・チョウのCDを五枚、王馨平リンダ・ウォンのを一枚買った。妻の郭富城アーロン・コックをさがしたけど新しいのはなぜか一枚もないのだ。しかし、面白いのは僕が目ぼしいCDを抜き取るとすかさず補充する店員のおにいちゃんの忍者のような素早い動きであった。最初の一、二枚までは良かったが、僕がどんどん六枚も抜いていくので段々おにいちゃんの顔色が焦りの色に変わっていくのが妙におかしかった。
 そして道端の新聞売りで「賭神(ゴッドギャンブラー)二」のムックがあったので、これも二冊購入。一冊は例の入院中のまゆみちゃんへのみやげ用だ。実はこのまゆみちゃんとの知り合い方というのが、ちょっとおもしろい。おなじ大阪の枚方市に済んでいるのだが、日本で香港経由で知り合ったのだ。むふふふふっ。どういうことかわかります? 数年前に、かねてから香港から送ってもらって定期講読している香港の映画雑誌『銀色世界』に楽しいイラストを描いて、年賀状を送った。するとそれが紙面に載ったのだが、僕とこのイラストの下に住所氏名電話番号が入っていたために、それを見て(まゆみちゃんも香港から『銀色世界』を送ってもらっていたわけですね)家が近いからコンタクトを取ってきたということなのだ。初回から妻とまゆみちゃんは意気投合し、現在も仲良くお付き合いしているのである。

▼ 発見!謎の切り口
 一方、そのころ一撃さんは、中環セントラルへ足の裏マッサージに行っていた。僕も買い物を済ませたら、灣仔ワンチャイの六國酒店のロビーで落ち合う予定になっている。それから食事して、いよいよ銅鑼灣トンローワンのフリークさんのホテルで待ち構えるのだ。
 僕は一端、君怡酒店キンバリーホテルにもどって買い物した荷物を置いてくることにしよう。それに持ち出す物もあるのだ。そうそう、ちょっとコンビニにも寄りたい。コンビニに行きたい理由は、あるおやつが買いたいからだ。僕が香港に来るとかならず買う物。それは〔齋燒鷄粒〕である。何て読むかは知らない。これは、いわゆる〔ビールのつまみ〕というやつですね。香辛料ときつい辛い味がついている鶏の多分皮だと思うんだけど、カリカリにしてあるお菓子である。同じようなもので、牛肉のとか豚肉のとか、五香粉ウーシャンフンばりばりに効かせたものとかもあるし、美味しいから好きだけど、やっぱり一番好きなのがこの齋燒鷄粒なのだ。だってね、牛肉のなんかと比べると値段が一桁違うんだから。つまり安い。酒のつまみって結構高いでしょ、他のおやつ類と比べて。だから安くてたくさんの齋燒鷄粒に軍配が上がってしまうのである。
 そうそう、話はちょっと変な方向にはずれていってしまうが、この齋燒鷄粒には秘密がある。といっても今回初めて気がついたんだけれど、何だとおもいます? 味か? 材料か? それとも…違います。多分あなたが思っているものとは全然違うと思う。それは袋にあるのだ。当然香港で作られ香港で売られているから、袋は繁体字ベースの中国語で表記されている。名前にしても、原材料にしても、キャッチコピーにしてもだ。だが、たった一つだけ日本語が書かれているのだ。香港でも、ちょっとしたアクセントに日本語を使うことはある。けれど、それはデザイン的に面白いとか、ちょっぴりかっこいいからとかであって、この齋燒鷄粒の場合は、全くそういう可能性はないと天地神明に誓って断言できるのである。ではそれは何か? 袋の表、左側。上から約三センチぐらいのところに、約三ミリぐらいの切り込みがある。もちろんこれは袋を開けるための〔切り口〕ですね。なんとこれなのである。〔切り口〕と、日本語で小さく六ポぐらいのゴシック体で書かれているのだ。こんな小さかったらうっかり見逃してしまうのは当然だ。なぜ、そこだけが日本語なのか? そんな誰でもが見逃してしまうような所が。これは謎だ。

▼ 電子指令到着フロム ジャパン!
 さて、その齋燒鷄粒をセブンイレブンで購入して、君怡酒店キンバリーホテルへもどった。まだこの辺の地理を頭で理解できないが、それでも動物的勘でちゃんとホテルまでもどってこれるところに自分でも感動。買い物してきた物資を置き、そしてNIFTY-Serveにアクセス。さっそく妻からの指令メールを受け取る。妻はまだ本格的にパソ通ができるわけではない。僕が出発前に段取りをしておいて、使い方のメモを作成しておいたのだ。だから妻が自分で送る初めてのメールがこれなのだ。初めてで海外までメールを送ったというのは凄いかもしれない。え? 受け取る僕がたまたま海外にいただけだろって? ま、そりゃそうだけど、思い出としての価値はあるということなのだ。それで肝心の内容は…何々? 入院中のまゆみちゃんからの依頼で「XO醤エックスオージャンを買ってくるように」と書いてある。できれば半島酒店ペニンシュラホテルの、だめなら李錦記のをと。他にも音楽雑誌『一〇〇分』、『壹本便利』とか色々列記してあるのだ。できるだけ希望に沿うようにがんばってみよう。
 あまり時間がない。買ってきた物資の中からセサミストリートの歯磨きセットを出してきて、歯を磨く。しかし、歯ブラシは完全に子供用だから頼り無い。練り歯磨き粉はもろ風船ガムの味。でも好みではある。
 それでは時間がないのでさっさと出かけることとしよう。日本から香港在住のHPメンバーへのおみやげも忘れてはならない。これを忘れたら日本からわざわざ持ってきた甲斐がない。たいしたものではないが、僕の住んでいる大阪は枚方のフランス菓子屋のお菓子である。カバンの中で少々揉まれているので、包装紙の角が擦り切れてしまっているのがカッコ悪いが、ようは気持ちだ、ということで勘弁してもらおう。では出発。ホテルを出る前に、まずフロントで両替をするのだ。
 尖沙咀站から地下鉄に乗る。中環セントラル行きだ。今日は日曜だから中環はリトルマニラと化しているだろう。けれどそのまま乗っていたら本当に中環へ行ってしまって灣仔ワンチャイには着かない。中環の一つ前の金鐘アドミラルティで乗り換えなくてはならないのだ。いつも誰かと一緒だと全くこの辺の段取りが覚えられないが、単独行動をするとスムーズに頭の中に入ってくる。やがて地下鉄は金鐘に着いたのであわてて降りる。おやおや、何だかへんてこな人が歩いているぞ。何だか香港という街にそぐわない人達だ。こんな人達がけっこう大勢歩いているということは、中環あたりで集会でもあったのだろうか? さてこのそぐわない人達とは誰でしょう?

▼ 時空の歪みか!? 時をかける灣仔!
 わかりましたか? 正解は尼さんの大群である。仏教の尼僧のことね。香港って宗教は道教が多いらしい。道教というのは、僕もよくは知らないが、映画『霊幻道士』なんかでお化け退治する人がいるでしょう。あれ言うなれば道教のお坊さん。香港ではその道教がマイフェィバリット宗教ということになるのだ。だから仏教の坊さんなんて街で歩いているのなんて見たことない。とは言え、道教は世界中の宗教の神様、仏様を取り込んで道教の神様にしてあるという、何だか日本人の、盆も正月もクリスマスも端午の節句も七五三もウエディングドレスも…というの無節操感に近いものがある。だからどの宗教の人がいても不思議ではないのだが、それでも都会の香港島の地下鉄構内で尼さんの大群を見るのはなんだかとても奇妙な気分である。そして今回発見したことがある。女性も髪の毛をつるりと見事に剃りあげてしまうと、年齢がわからなくなってしまうということだ。若いのかおばさんなのかぐらいは簡単にわかりそうなものだが、それが意外と勘が狂ってしまう。二人、三人とグループを作って地下鉄車内で話をしている彼女たちの笑顔を見ると、女子高生ぐらいにも見えてしまう。けっこう女性のヘアスタイルは、年齢を物語る重要な要素の一部なのだなあと改めて実感した瞬間であった。
 地下鉄はやがて灣仔に到着した。ここで降りる。さあて、どこの出口から出ればいいのだろうか。わからないけれど、まあ、なんとかなるだろう。かなり簡単に考えて僕は地上にあがった。待ち合わせ場所は六國酒店だ。なんとなく山を背にして歩いていけば、海側に出るはずだ。大きな道があった。これは海岸線に平行に走っている道だろう。つまり山を背にしてこの道を左に行けば中環セントラル右に行けば銅鑼灣トンローワン方面ということになる。大雑把な位置関係は読み取れたが、さて、目指す六國酒店がわからない。地図を見ればいいのだろうが大体どこに上がったかがわからないので、見てももうひとつピンッと来ないのだ。だから詳しく地図を見る気になれない。取り合えず、わかったのは、自分が軒尼詩道ヘネシーロードを歩いているということだけ。おお、今日は〔尼〕に縁のある日だなぁ。しばらくビルの間からホテルの看板を探すが、よくわからないのだ。時間は迫ってくるが、意外と焦りはない。なんとなく迷いながらプラプラ歩いているこの時間がとても楽しいのだ。でも、一撃さんが待っているからそう呑気なことも言っていられないのだが…。しばらくすると妙に賑わっているところが出てきた。のぞくとビル街にポッカリと空いた空間があるではないか。ん? デジャブーだ、どこかで見たことあるぞ。
 過去にどこかで見たことある風景が、僕の目の前に広がっていた。中ではみんな家族づれで楽しく遊んでいる。緑のペンキで塗られた塀とフェンスで囲まれたグランド。僕は以前にここに来たことがあるのだろうか? いや、灣仔は初めてのはずだ。過去二回の渡港の際には、灣仔は暴走二階建バスで通過した幾つかの街の一つに過ぎない。では、どうしてだろうか? 僕の前世がやはり香港人だったのだろうか?…などと輪廻転生を頭に描き遠い時空に思いを馳せながら、僕は沖縄の座間見の海のように澄んだ瞳で、生ぬるいビル風にあたりながら、ただぼんやりとその風景を眺めていた。あ、こんなことをしている場合ではなかった。マンダリン・オリエンタルの足の裏マッサージで、真の足の裏道を極めてきた一撃さんが、僕の到着を今や遅しと六國酒店のロビーで、きっとPocket3をすました顔してマシンガン打鍵しながら待っているはずなのだ。気を取り直して歩きだしたとたんに、思い出した。あのグランドだ。映画『チャイニーズ・ファースト・ラブストーリー/打工皇帝』領銜主演・王祖賢ジョイ・ウォン、許冠傑サミュエル・ホイ、徐克ツイ・ハーク、泰迪羅賓テディ・ロビンのラブコメディの冒頭シーンで、許冠傑らがバスケットするコートがあのグランドなのだ!修頓球塲という名前だというのは、後になって知ることになる。

▼ 足の裏からエネルギーを取り戻した男
 このグランドのことを思い出したおかげでなんとなくこの街が、ずいぶん昔からの馴染みの街に思えてきた。こうなると僕の勘は冴えるのである。軒尼詩道ヘネシーロードだと思い込んでいたところは、まだ一本山側の荘士敦道ジョンストンロードで、だからなにかしらの違和感が付きまとったまま歩くことになってしまっていたのだ。グランドを目印にして、三本海側に行けば、告士打道グロウスターロードそこに六國酒店があるのだ。もうあとは何の苦労もなく六國酒店にたどり着いた。予定の午後一時半を一〇分超過していた。
「どうしましたん? えらい汗かいてるやん」
 一撃さんは深々とロビーのソファに腰掛け、目線だけを僕に流しながら、冷静に僕をとらえた。僕は、
「えとえと、ちょっとだけ迷ってしもて…」
 と軽くいなすのが精一杯だった。一撃さんはやはりすました顔してPocket3を打っていたのだ。
「僕はマッサージしてもろて、シャワー使いましたからサッパリ」
 だから、清々しい顔をしているのだ。ちくしょー。
「昼飯まだですか?」
 そういえば僕も腹が減ってきた。一撃さんもそうらしい。また僕たちは〔世界のくいだおれ香港〕で幸せな食事にありつこうということになったのである
 六國酒店から山側にちょっと進んで横町に眼をむけると、食堂があった。迷わずそこに突入。客もわりと入っていたが、席はちょうど二人分あいていた。店の中には香港特有の油の匂いがした。ピーナッツオイルを使って料理をしているから、この匂いがするのだという。でも、これが香港なのよねえ。メニューをさっと見て、僕は叉焼炒麺を、一撃さんエビ炒麺をそれぞれ頼む。麺は固いパリパリのやつでちょっととろみのついた具がふんだんに乗っている。そして量は山盛りだ。少々縁の欠けたプラスチックの皿に、頭から先まで同じ太さの緑色のプラスチックの箸。プラスチックのコップに生暖かいお茶。これが香港なのだ。とにかくお腹が空いているので、ガッシガッシと食べていく。おいし〜。例の油の匂いがきついが、でも美味しいことに変わりはない。薄い塩味で、焼豚の味がアクセントになっている。うっかりいつもの調子でもう一皿何か頼もうかと思ったが、やめておいて良かった。食べても食べてもなくならないのである。スンゲー大盛り。うまいが、なくならないのは困る。非常に困る。今日は一大イベントが控えているのだ。香港在住のHKF-HPメンバーの、今回のドッキリ計画の協力者である、HIGさんとコンタクトを取らねばならない時間は迫るが、しかし、焼きそばは無くならないのであった。
 苦労して全部をたいらげたあと、我々は灣仔碼頭に向かって歩いていく。途中CD屋をみつけるが、一〇分の探索で切り上げた。全く収穫なし。灣仔警察近くを通っている高架歩道を歩いていくと、やがて、一撃さん好みの美術工芸品の置いてある〔中國藝林商塲〕にでる。
「ちょっと入ってみますか?」
 一撃さんは今回は買う気はないらしいが、僕を案内する意味で入ろうと思ったのだろう。どうも以前に来たことがあるような雰囲気だ。中はすごく広くてさまざまな工芸品が置かれている。佐敦の裕華よりも明るい店内だ。玉の仏像や、七宝焼のようなもので作られた地球儀、僕たちの年収を遥かに越えたものから、ちょっとおみやげにできるものまで、いろいろな物が陳列されている。僕はこの手のお店は見てるだけで充分楽しめるので、めったに買うことはない。しかし、よ〜く見ると掘り出し物があるのだ。初めて香港に来たときに、佐敦ジョーダンの中藝有限公司という中国デパートの美術工芸品売り場で、パンダの毛皮マペットを発見し、即座に購入したことがある。まさかパンダの毛皮なわけはないのだが、毛皮で指人形を作ってしまうという感覚がバカバカしくって素敵に思えたのだ。世の中のパンダオブジェを研究している僕はコレクションのひとつにそれを加えたのだった。

▼ 作戦行動開始! 銅鑼灣へ!
 中國藝林商塲を出て、灣仔碼頭ワンチャイフェリーターミナルへ。そこで、海をバックに一撃さんの写真をパチリ。しばし波間に視線を泳がす。おっ、そろそろHIGさんに連絡をしなければいけない。HIGさんはいつも携帯電話とポケベルで情報通信機器武装しているので、今回のドッキリ作戦では現地連絡センターとして大活躍してもらっているのだ。海港中心ハーバーセンターで電話を探すが、見つからない。入口で半分眠りかかっていた番人のおじさんに訊ねると、建物を大きく回って灣仔碼頭方向に行け、という。礼を述べて、向かっていくが、ないのだ。ちょうどそこにはデパートかショッピングモールが入っているようなのだが、一階は工事中だった。フロントにいるガードマンのおじさんは、構わんから奥へ入れと、ボディランゲージで言っているが、これ、中に入れる状況ではないぞ。頭から溶接の火花が散っているし、粉塵だってなまなかのものではない。だいたい買い物に来たわけではないのだ。フロントのおじさんに「むこい! てれほん、はいぴんと?」と訊いてみたがないという。困った顔をしていると、もう一人のガードマンのおじさんが、これを使えとフロントにある電話を貸してくれた。電話は一撃さんの担当。だが、おじさんの好意にもかかわらずHIGさんの携帯電話とは通話できない状態だったのだ。
 とりあえず、銅鑼灣トンローワンに向かうことにした。その前にもう一度電話を探す。うまく公衆電話がみつかった。だが、やはりHIGさんとは連絡がつかない。で、HIGさんの自宅に連絡する。奥さんが「確かにもう出ています。待ち合わせの栢寧酒店のロビーに行くはずです」ということだ。携帯電話は地下鉄とかに乗ってる時はだめらしい。では安心して向かおう。僕は灣仔ワンチャイに続いて銅鑼灣も暴走二階建バスで通過したにすぎないので、今回が初めてということになる。つまり香港島で制覇しているのは海洋公園オーシャンパーク、淺水灣レパルスベイ、香港動植物園、ピークぐらいのもので、赤柱スタンレーもまだ充分ではないのだ。さて、地下鉄に乗って銅鑼灣へ。一駅だから、すぐだ。地上に上がる。もうこのあたりは手さぐりで探すしかない。とにかく栢寧酒店パークレーンホテルロビーに行かなければならない。

▼ 現地工作員とコンタクトせよ!
 銅鑼灣は、同じ香港島でも中環とは雰囲気が違う。建物が洗練されている感じはするが、デパートなどが集まっているので、生活の匂いがする。雑踏の中をちょっと駆け足になりながら、進んでいく。記利佐治街から栢寧酒店に入る。ちょうどこれは正面入口ではなくショッピングゾーンを通っていく形になる。一撃さんは、また一センチ五ミリぐらい浮上したまま歩行している。このドッキリ計画に、心が集中している様がこの歩行に如実に現れているのだ。
 一撃さんの呼吸と心拍数がかなり上がっている。頬はやや上気し、うっすらと赤みを帯びている。僕は一撃さんの観察に気を取られていたので、自分の分析ができなかったが、僕も同じだったかもしれない。ただHIGさんの顔を知らない分だけある種の開き直りというか呑気な気分があった。
 フリークさんの到着は、飛行機の時間からして「三時ごろです」とご本人の書き込みにあったのだが、僕ら二人の見解は四時を回るだろうということでピタリと一致している。僕ら自身が体験した今日のだだ混み入国審査の状況を考えるともっと遅くなってもおかしくはないのだ。フリークさんもツアーだから、ホテルまではバスの送迎付きだ。ということは、空港から九龍半島のホテルを何軒か回って、香港島に渡ってくるはずである。とすれば、かなり時間がかかるはずだ。
 一撃さんの浮上歩行について、僕も栢寧酒店のロビーになだれ込んだ。一撃さんの視線が正確にターゲットを捕捉したようだ。その眼鏡の奥の二つのつぶらな瞳から照射される視線の先には、かわいい男女各一名の子供さんを連れた、HIGさんのニカニカ笑顔があったのだった。
 HIGさんというと、誰に訊いても「いい人ですよ、いい人過ぎるぐらい」とすこぶる評判がいい。実際に会ってみて、それは一瞬にして実感できるのである。ニカニカ笑顔とそしてHIGさんの頭上に放射されているオーラ全体が、人を優しい気持ちにさせる特別な何かをもっている、日本の電機メーカー香港支社の駐在員、それがHIGさんである。とりあえず、まだフリークさんは到着していない。意外とこの栢寧酒店パークレーンホテルのロビーには隠れるスペースがないので、ホテルにメッセージを残して、どこかで待機することになった。
「九鬼さんもね、先程までおられたんですが…」
 どうも我々がちょっと遅れたために、辛抱たまらんと言ってどこかへ行ってしまったようだ。九鬼さんは大阪出身。北大路欣也の眉間とウガンダをシャウトさせた感じの日本の某〔フォービューティフォーヒュマンライフ〕化粧品会社の香港支社駐在営業マン。どんな辺境でも仕事とあらばマイクロテレコ片手にわっしわっしと突き進んで行く。本人も「九鬼はタイ人の顔をしているから、質問されても何もしゃべるな。そうすると、パスポートを見せなくてもフリーパスで国境を越せる」なんて言われたと告白するほど南方の顔らしい。イギリス留学経験も持つ超国際人である。
 HIGさんと二人の子供さん、それに一撃さんと僕の五人の一行は、栢寧酒店のすぐ近くの公園に行った。関東煮みたいなのの大牌档タイパイトン(屋台)とかも出ている。おお、けっこう広い公園ではないか。これがうわさの維多利亞公園ビクトリアコウエンだったのだ。ピーナツオイルの匂いが漂っている。

▼ 焦燥!ポケットベルが鳴らなくて
 HIGさんがホテルに残してきたフリークさん宛のメッセージには〔到着したらポケベルを鳴らしてください〕と書いてあるのだ。だからここで鳴るのを待っていればいいのだ。僕ら五人はブラブラと維多利亞公園を歩いた。今日は大変な人出である。僕は銅鑼灣は初めてだから、当然この維多利亞公園も初めてである。狭い土地に競い合うように超高層ビルが立ち並ぶ香港島。そこにこれだけ広くゆったりと土地を確保し、公園を作るというのはとても贅沢なことだが、うらやましい感覚だ。昔ここはは船の台風避難場所だったらしいが、戦後の都市計画で埋め立てて公園になったという。正面入口にはビクトリア女王銅像があるらしい。今回は別の入口から入ったらしく、見損なってしまった。スポーツのコートなどもある。大阪で言えば靱公園といったところだろう。普段はサッカーコートのところに、今日はフェンスをめぐらし、移動遊園地が来ている。HIGさんの息子さんケイスケ君は入って遊びたそうだ。だが、お父さんが「お父さんのお友達がもうすぐ来るから、時間がないんだよ」と説明すると「残念だなぁ」と言ったきりで、素直にお父さんの言うことを聞いていた。いい育てられ方をしているなぁと感動。僕が子供のときなら、だだをこねて泣き叫んで暴れ回っていただろう。
 だが、この移動遊園地のキカイ、小さいわりにけっこうすごい。何がスゴイかと言って、恐いのである。大きな遊園地の絶叫マシンにひけをとらないぐらいブンブンちぎれんばかりにブン回しているオクトパスみたいなのや、真っ逆さまの位置で二分ぐらい静止してしまう恐怖の観覧車とか。小さくやわに見える部分の「この構造で大丈夫かなぁ、壊れんのんちゃうのん?」的恐さもプラスされて恐怖感が三倍ぐらいに増幅されている。時間があれば、後に一大イベントが控えていなければ、ケイスケ君にも負けないぐらい遊園地好きの僕は何もかも忘れて、人生まで投げうって飛び込んで行ってしまうところだ。そうそう、一撃さんが指摘して気づいたのだが、日本の遊園地とかなり違うところが、実はもう一つある。それは何を隠そうBGMである。ヨーロッパとか日本なら街頭のオルガン屋台みたいな感じの、夢のあるピロピロした楽しさ満点音楽が多いが、香港のはド迫力満開のハードロックなのだ。やはりさすがはアクション映画の街だなぁ。もう少し待っていると、どこかでガソリン爆発とか、それに合わせて観客がワイヤーワークでぶっ飛んでいくというのが見れるかもしれない。なんだか、わくわくしてきたぞ、とか、呑気なことを考えながら公園内を歩いていた。
 だが、ぶらぶらもだんだんと退屈になってきた。楽しい遊園地が側にあってそれに入れないで散歩しているのだから、盛り下がってくるのはしかたあるまい。しかしそれと同時に、ビックリドッキリ計画への期待が次第と高まっていく。それで、一応、栢寧酒店パークレーンホテルへもどって様子を見ようということになった。


▼ 一瞬の隙に現われたデッかい東洋人!
 ホテルの正面玄関に向かって歩いていく。おっ! あれは何だ?玄関前に横付けにされているあのバスは! フリークさんが利用しているJTBのバスではないか! まずった! 我々が呑気に維多利亞公園散策をしている間に、もう到着していたのだ! もう一撃さんと僕は駆け足になっている。一撃さんは忍者のそれのように少し斜めの横走りをしながら言った。
うずらまんさん! カメラ、カメラ!!」
 僕がフリークさんに接近し、その目の前を何度も行き来し、フリークさんが気づかないでいる様を、バッチリ一撃さんが写真に収めるという作戦である。僕はなかば放り投げるように、カメラを一撃さんにパス。ナイスキャッチ、一撃さん。扉をドアマンが開けてくれるのももどかしく、ロビーに突入した。もう僕の視界からHIGさん一家は消えていた。
 フロントの左端に、デッかい東洋人が旅行社の係員について、チェックイン手続きを行っている。間違いない、香港フリーク斉藤潔さんだ。しかし、周辺に奥さんの姿がない。人違いか? いやあの後ろ姿は絶対フリークさんだ。だとすれば奥さんは来ていないのか? そんなはずはない。二人で成田前泊を楽しんでいるたことはHPの書き込みで伝えられている。もし、何らかのアクシデントが発生して奥さんが来られないような事態になったとすると、フリークさんも来ないだろう。だからフリークさんが来ているということは、奥さんもいるはずなのだ。想定していた状況と違うと、シナリオが狂ってくる。フリークさんに怪しく近づく僕の姿を、もし別方向から奥さんが見ているとすれば、スリ集団が狙いをさだめて接近していると勘違いして、騒ぎだすとも限らない。これはマズいことになった。だが、もうどうしようもない。一か八かだ。タイミングがズレるとせっかくのドッキリチャンスも逃してしまうかもしれない。そうなったら元も子もないのだ。わざわざ香港くんだりまで人をびっくりさせに行くという一生に一度できるかどうかわからない、壮大なイタズラ計画が一瞬にしてシャボン玉のようにはじけて無惨に消えてしまうという悲惨な最悪結末だけは、何としても回避しなければならないのだ。
 もうこうなったら、肝を据えてかかるしかない。僕は静かにフリークさんに接近する。フリークさんはチェックイン手続きに気を取られていて後方五時の方向より僕が急速に接近しつつあるのには全く気づいていないようだ。ピタリッと僕はフリークさんの真後ろに付けた。このショットを一撃さんに一枚お願いしたいが、カメラポジションに一撃さんの姿はない。写真に収めることができなければ、一撃さんの〔オーストラリア熱海疑獄〕の二の舞になってしまうだろう。一撃さんは以前オーストラリア旅行中に現地からHPに書き込みをして、一文字の文字化けもなくあまりにも鮮やかな手際で海外アクセスを成功させてしまったため〔オーストラリア〕という名の熱海あたりの温泉から書き込んでいるのではないかとの嫌疑をかけられたという苦い過去があるのだ。今回もフリークさんがビックさせられた悔しさに、我々の一連の行動を全く一言もみんなに報告しないという報復措置に出た場合、証拠がないと我々の壮大なイタヅラ計画がまたもや一瞬にして無に帰すということになってしまうという危険があるのだ。そんなことを考えているうちに、無事チェックインが終わったようだ。一撃さんの姿が確認できないから、今後どういう行動を取ればいいのか、判断は困難を極めた。ちょっとしたミスが大失敗につながるのだ。

▼ 意外な展開!新なる協力者登場
 フリークさんがJTBの係員に随伴して移動を開始、方向を右、一一〇度ほど展開して前進する。お、あの先にある荷物の束は! そしてそこにたたずむ一人の女性がいた。
「ねえ、一撃さんがいるのよ!」
 やっぱり、この女性こそ香港フリーク斉藤潔さんの奥様、克美さんに間違いない。だが、フリークさんはそんな奥さんの言葉を完全に一喝した。
「ん〜にゃぁ、居るわけないじゃない!」
 そう言うと係員とのスケジュールの確認に専念した。そして克美さんは僕のことにも気づいたようだ。なんとなく笑顔がこちらに伝わってくる。これはマズイ。非常にマズイ事になった。だが、今までのフリークさんのお話やHPでの書き込みほか様々なデータから推理すると、克美さんはかなり僕たちと周波数が近いと推測できる。僕はここで大きな賭にでることにした。気分はいやが上にも盛り上がる。まるでマカオで自分の有り金全部を手練の女性ディーラーの〔大小〕に賭けてしまうような感触だ。僕はシャッフルのボタンが押される代わりに、右手の人指し指を一本立てて少し悩ましいぐらいの爽やかなピンクの唇のまえに持っていき、聞こえるか聞こえないかの極めて小さな声で、
「しーっ!」
 と克美さんに合図を送ったのだった。
 僕の判断は、間違っていなかったのだ。僕の合図で、克美さんは貝のように口を閉ざしてしまった。これでこのびっくりドッキリ作戦に奥さんも加担したのだ。思わぬ協力者を得て、ますます盛り上がりを見せる今回の作戦はいよいよクライマックスを迎えることになるのだ。
 しかし、ここで、今まで極秘事項にされていた、今回のびっくりドッキリ作戦を含む〔一撃&うずらの香港イタズラ大旅行二泊三日〕がどの様に企画されたかについて語っておきたい。それは、一撃さんがかねてから〔香港観光協会・大阪〕に行ってみたいと言っていたことに、端を発している。実は僕もかなり前から同じことを考えていたのだ。何度か移転しているので、場所がわからなくなってしまい、行きそびれていた。一撃さんは何度かの東京出張の折りに〔香港観光協会・東京〕には何度も行っており、そこの美人職員〔サンブン〕さんと仲良くなったりしてきているのである。で、うまく時間があった一〇月のある日、僕と一撃さんは、大阪淀屋橋にある〔香港観光協会・大阪〕に赴いたのである。一撃さんによると東京よりはかなり小じんまりしたオフィスだったようだ。しかしそこで今回の旅にも役立った貴重な資料を入手することになるのだ。

▼ 超便利アイテムを手に入れろ!
 僕たちが協会のオフィスに入ったのはどうもタイミングの悪い時間だったようだ。職員さんも電話などに追われていて、対応してくれた男の人もこれから打合せに出かけるところみたい。であるからあまりのんびりとは話ができなかった。早々に挨拶をしてめぼしい資料を貰ってそこを出た。その後、一撃さんと喫茶店に入り収穫の確認と色々な話をした。貰ってきた資料の中で、一撃さんが喜んだのが『HOTEL GUIDE』だ。これは香港の主なホテル、ゲストハウスのデータが地図付きで載っている小冊子である。英語版しかなかったが、それでもこれが現地で、今回の旅行で充分に役に立ったのである。
 まず、第一に何が優れているかというと、引き易いのだ。ホテルの名前のアルファベット順にデータがならんでいる。そして地図付きだから場所からも簡単に見つけることができる。そして薄くて軽いのだ。持ち歩くに便利である。香港は狭い敷地にたくさんのビルがひしめきあっている。そんな中で、別行動をして後で待ち合わせる場合、目印はホテルロビーというのが一番わかりやすい。そして人に訊ねる場合も、ホテルなら面倒な説明が不要だ。それに地図が付いているから、いっしょに地図を持ち歩く必要がないのだ。道端でガイドブックと地図となんやかやと広げるのは、どうもめんどくさくいものだ。
 携帯に便利で、おまけにこれがただである。こんな有り難いことがあるだろうか。ただし、部屋の値段とかのデータはちょい古いのでそこのへんは考慮が必要ではあるが、それでもだいたいの目安にはなる。今回の初めての灣仔ワンチャイ六國酒店での待ち合わせにも充分に活用して役に立ったのである。他にも観光ガイドとかナイトライフガイドとかも役に立つが、僕は香港観光協会が用意している資料の中で一番この『HOTEL GUIDE』をおすすめします。

▼ コードネーム〔GT計劃〕
 それで、話は淀屋橋の一〇月のまだなんとなく蒸し暑く、けだるい昼下がりの喫茶店の中に戻る。
「な、一撃さん、一二月の香港現地オフどうすんの?」
「できたら参加したいんですけどねえ、仕事休めるかなあ」
「フリークさん、平日行くって言うてたしなぁ」
「あら、むちゃや。合わせられる人少ないと思うで」
「うまいことな、週末が絡めて一日ぐらい合わして行かへん?」
「なるほど、そやなぁ全日合わさんでも、ええね」
「ほんでな、大阪から行くことは、黙っとくねん」
「あ、それいいっすねえ! ビックリさしたら、おもろい! ちょっと本気で考えてみますワ」
 こうしてこの計画の第一段階に突入した。
 しかし、ここで思わぬハプニングが起こった。順風満帆の計画のはずが、完璧で不沈空母と呼ばれたこの計画が、出帆してほんのわずかで早くも座礁してしまったのだ。
 一週間ほどして、一撃さんの会社の内旅行の話が持ち上がった。一一月末〜一二月初めの間に、その行き先が香港に決定した。僕はこの段階で僕たちの計画は流れたと思った。だってそんなに同じ時期に何回も、同じ場所に旅行に行くということはしないだろう。香港とはいえ、梅田やミナミに遊びに行くのとは違うのだ。いくらリーズナブルな旅行地と言えどもそれなりにまとまったお金が必要だ。同じ行くにしても最低でも三ヵ月ぐらいはあけるだろう。しかし、一撃さんの答えは意外にも、
「いえいえ、行きますよ。こんなチャンスを逃したらあきません」
 だったのである。これなら実に好都合なことに、一撃さんの社内旅行がビックリ計画のカムフラージュになるではないか! 僕は一撃さんのメールを読んで心なしか身体が浮上し、その場で二〇秒間小躍りして喜びを噛みしめるのだった。
 この計画は最初の宿泊候補に挙げられたGrandTowerホテルから取っ手〔GT計劃〕と名付けられたのである。

▼ 衝撃の瞬間!凍りつくデッかい東洋人
 香港フリークSさんの奥さん・克美さんまでも瞬間的に味方に付けてしまった我々は、いよいよ最大級の緊張を伴いながら、クライマックスへと一気に加速する。心臓の鼓動はレッドゾーンを振り切っている。フリークさんはツアー係員との話に集中。ほんの少し笑みをたたえながら克美さんは動向を見守っている。だが、僕からはまだ一撃さんが肉眼で確認できていないのだ。やがて係員の説明が終わり、
「では、また明日」
 と言葉をかわすフリークさんとツアー係員。フリークさんがゆっくりと奥さんの方に振り返るか振り返らないかの一刹那のすきを突いて、いかにも自然な身のこなしと、発声によって、
「ほんなら、荷物部屋まで運びましょか」と声をかけた。
「ん????????????」
「ハッハッハッハッハッハッ」
 フリークさんの硬直を尻目に僕は高笑いを続けた。そのフリークさんの硬直を、まるでテレポーテーションしてきたかのように、空間にぬらりひょんと現れた、一撃さんが電光石火の早業ですかさずフォーカス。克美さん、HIGさん一家に浮かぶ、笑顔。僕は緊張で気づいていなかったが、ここにHIGさん一家はきちんとスタンバっていたのである。
 全く自分の視界から、視界の中にきちんと存在する、HIGさん親子がマスキングされていたというか消去されていたというか、とにかく不思議なそういう状況が意味するものは、いかに僕がこの瞬間に集中して作戦を遂行していたかを如実に物語っているということである。
 フリークさんが右半分の顔面を解凍できないまま、やっとその硬直した口を開いた。
「な、なんでいるの?????…」
 そして約一五秒の空白の後、
「奥さん大丈夫なの?????…」
 さすがに心理的な動揺を隠せないフリークさんだが、たじろぎの次に、僕の妻の容体を心配する言葉がとっさに出てくるところはフリークさんの心根のやさしさの現れなのだ。
「いやあ、どうも…」と一撃さんも姿を現す。
「ああっ!」
 そう言ったきり、またフリークさんは約二五秒間硬直してしまったのだった。僕はプレゼントに用意した、足の裏たたきハンマーをすかさず取り出し、フリークさんの全身をくまなくトントンし、徐々に爪先から硬直をほぐしていったのであった。

▼ 天空の電脳廣塲探検!
 フリークさんと克美さんは部屋へ荷物を上げて支度をするので一時間後にまたロビーで落ち合うことにした。その間に、HIGさんの案内で、栢寧酒店パ-クレーンホテルの向かいにある、イギリス系デパート〔レーンクロフォード〕の上の階の電脳廣塲(パソコン店が集まってるとこ)へ。色々なものを見た。まず、コピーソフト専門店が堂々と店を構えているのに驚き。僕は普通のソフト屋の片隅に、そういうものが置かれているのかと思っていたが、全部がコピーソフトなのだ。なぜわかるかというと、パッケージがなくてソフトは全て簡単な説明書とともにビニール袋に入っている。その説明書とかフロッピーのラベルがすべて安物臭い色上質紙なのだ。今日は買う気がないので、ふーんと言いながらちょっぴり覗いただけで通りすぎた。その先には、今日は閉まっていたが、キャノンのお店があった。そしてそこには日本でも今売出し中のバブルジェットカラープリンターが展示されているのがショーウインドウからでもうかがえるのだが、なんとそのイメージキャラクターが、僕の大好きな周慧敏ヴィヴィアン・チョウだったのだ。周慧敏の大型ポスターと、等身大の立て看板が、ニッコリと僕にやさしい微笑みを送りながら、そこに立っていたのである。ああ〜周慧敏ちゃん!
 くっそ、そのお店が休みでなければ、周慧敏の載っているカタログぐらいもらってくるのに。くやしいくやしい。しかし、どうしようもない。あきらめて僕はすごすごとその場を立ち去った。
 今日はここに来たのは、HIGさんにはきちんとした目的があったようだ。僕は、さっきの周慧敏ショックを忘れるためもあって、ただぼんやりとながめていたのだが、ある店の前で、パタッと足を止めた。そしてそれまで、しっかりとだっこしていた娘さんまで、放り出して、物色しはじめたのである。どうやら新型高性能のモデムを買うつもりらしい。値段の交渉をするHIGさんの眼は、もう先程のニカニカした笑みはたたえていない。真剣な、男の勝負。ハードボイルドGメン七五若林豪ミリオンパワーという感じである。しばし、ボーゼンとなりながらそれをながめる僕と一撃さん。いろいろなやりとりの末、交渉成立。HIGさんは無事モデムを購入。そしてHIGさんにまた、いつもの笑顔が戻ってきたのである。帰りのエレベーターを降り、一階に着いて、僕は上がりしなに見つけておいたレコード屋を目指して、すでに歩きだしていた。僕の身体は三センチほど浮かんで閉まっていた。HMVと言う名前のレコード屋だ。たしか東京にも大阪にも支店があるはずである。世界的チェーンらしい

▼ 出動せよ!CDハンター再び!
 さて、一撃さんはトイレに行ってしまった。だがその方が、心置きなくCDを探せるのでうれしい。かなりフロアの大きい店だ。商品の数もすごい規模だ。最新ヒットのコーナーには試聴システムがあり、そこにはやっぱ学生風の男女がキャッキャ言ってたかっている。店内をぐるりと見回す。う〜ん客が多くて混雑していて、どこが香港物なのかよくわからないぞ。時間があまりないのでとにかく歩き回って香港物のコーナーを探さないと。こっちは洋楽でしょ。こっちはクリスマスソング。こっちは、おお、ど〜んと日本のコーナーだ。すごいなぁ。あれれ、香港物がないなぁ。あ、あったあった。どれどれ???? こりゃ古いぞ。そこに並んでいたのは、僕が三年前に香港に来たときに買ったCDやそれ以前に買ったレコードがCD化されたものだった。新譜はないの? 新譜は? 店員を探すが、客が多くレジの対応でてんてこ舞いしている。訊けそうもないなぁ。諦めきれずに五周店内を回った。しかし香港物の新譜は最新ヒットのコーナーに二、三枚あったきりである。そのコーナーから一枚、王菲フェイ・ウォンの『FAYE BEST』を握りしめた。時間がない。あと五分だ。でも、肝心の僕の周慧敏ヴィヴィアン・チョウちゃんのがまだ見つからないのだ!
 フリークさんとの約束の時間はどんどん迫ってくる。あと三分だ。周回が七周目に入ったときだった。なんだ? あの扉は! 別の部屋があるのだ。おっ、中にあるあるCDがある。あっ! 周慧敏だ!他にも香港アイドルが、香港ポップスが、うなりをあげて僕を呼んでいる。なんでそんな面倒なことをしてあるの? 香港物だけどうしてそんなに阻害されているの? こっちの大きなフロアにどうして置いてもらえないの? こんな部屋に閉じ込めておくの? とにかくその部屋に突入した。扉で仕切られたその部屋はまぎれもなく香港部屋だった。どうして仕切ってあるのかといえば、中に入ってわかったが、店内に流れる音楽を、混ぜこぜにしないためのようだ。なんだ、阻害されていたのではないのだ、安心。中ではガンガンと香港ポップスが流れている。今流れているのは、張學友ジャッキー・チュンだ。そういえばこの部屋防音壁を使っているぞ。納得納得。さあ、それでは思いっきり周慧敏を漁るぞ〜…と思ったその時、
(し、しまった)
 僕はある大きなアヤマチに今まで気づいていなかったのである。そしてそれは、僕と周慧敏にとって、とても大変困難なな事実を含んでいたのである。

▼ 周慧敏ちゃんに眼が眩み…
 その大きな事実とは、午前中に彌敦道ネーザンロードの半地下レコード屋〔精富唱片公司〕で買ったCDを全部覚えていないということであるのだ。どういうことかというと、注意してより分けないと、ダブって買ってしまうという恐れがあるのだ。これは参った。さっきだって時間がなかったから、慌てて手当たり次第買ってしまった。新しい物はなんとかわかるが、困るのは今までに買い逃していたちょっと前のものだ。判断する材料がまったく手元にないことになるのだ。残り時間はあと二分を切った。あ、焦る〜ぅ。とにかく自分の記憶を信じるしかない。お、トイレから戻った一撃さんが広いフロアを歩きまわって僕を探している。焦る〜ぅ。とにかくここで迷っていては仕方がない。『周慧敏/VIVIAN』と『周慧敏/最愛』を掴んだ。どうもこの『最愛』は同じものを家に持っているのだが、ジャケットがちがう。このデザインからして、廣東語とは書いてあるが、台湾盤だと思う。実際持ちかえってから調べたら台湾盤だった。付録に写真集が香港盤、台湾盤とも付いてるのだが、その内容も若干違うし、CDの収録曲順が違うのである。これはもう立派なコレクターズアイテムだ。収録曲そのものは同じだけど。それから妻から頼まれていた郭富城アーロン・クォックの新しいのとさっきの王菲を素早く購入した。
 そうこうしているうちに、約束の時間を過ぎてしまっていた。焦りつつも一撃さんと二人でダッシュ。まるでスライディングするように栢寧ホテルのロビーになだれ込む二人。
 当然のことながら、ロビーには全員が集合していた。
(お、あの人が九鬼さんやな)
 本人が北大路欣也の眉と眉間のシワというだけあって、たしかにそんな雰囲気だ。ウガンダをベースに北大路欣也をパパッとふりかけたというような、陽気さとちょっぴりマダムキラーというかバブルスターというか、とにかくそういうものを備え持った好男子である。そのかたわらの美女は? おお、九鬼さんの奥さんのようだ。巷では、会社の美容部員をくどき落としたということである。みんな話をしているし、その輪のなかに瞬時に溶け込んで、すでに一撃さんも盛り上がっているので中々初対面の挨拶ができない。しょうがないので、僕はハンドル名が大きく書かれたいつもの名詞を差し出し、挨拶をした。そこで、少し立ち話をしたが、話はいつしか足の裏たたき健康ハンマーになった。九鬼さんの奥さんが、
「私の友人にも電話で教えてあげたの。そうしたらハンマー、ハンマーって思って、ず〜っとしばらく金槌でゴンゴン叩いていたらしいのよ、ホホホホホホホッ」
 いくら強脚でも足腫れるよなぁ。

▼ 香港ドリーム猫娘の時代廣塲へ
 とかなんとか言っているうちに、時間的なタイミングが悪くなってしまったらしく、九鬼さん夫妻はもう帰らなければならないという。僕たちがもし遅れずに最初にこの栢寧酒店に到着していればもう少し時間もあったのだ。そのため九鬼さんたちは時間潰しに近くをブラブラしていて僕たちとすれ違いばかりになり、とうとう時間がなくなってしまったのだった。貴重な時間を無駄にして申し訳ない。HIGさん親子も、もう戻りますという。今夜はフリークさん夫妻と僕、一撃さんのコンビの四人だけだ。さみしくはあるが、まあ九鬼さんにも一瞬会えたし、HIGさんとは電腦廣塲をぐるぐる歩けたしよしとしよう。別れのあいさつもそこそこに、フリークさん夫妻と僕たちは、現地ミニオフ食事会に出発した。トコトコと銅鑼灣の街を歩く。おしゃれなビルが多いが、ちょっと横に入ると、猥雑な雰囲気もある。なるほど。僕は香港島側は洗練された超近代建築ハイテクビルの冷たい街というイメージがあったのだが、それは中環のビジネス街だけのことらしい。この辺りには僕がこよなく愛する、彌敦道ネーザンロードの裏通りや、廟街あたりのごちゃごちゃとした庶民のエネルギーと全く同じものが充満している。フリークさんが香港島側だけで満足してなかなか半島側に遊びに行かないというのも納得できる話である。ここで全部足りてしまうのだ。
 フリークさんたちは着いてすぐなので両替をしていないから、CITI BANKのキャッシャーでお金を下ろすという。CITI BANKへ。香港ではたいがいキャッシャーは道路に剥き出しになっている。その理由は〔人目のある場所の方が安全〕ということらしい。なるほど納得できる話だ。いくら防犯カメラがあったとて密室の場合は、乱入されて、拳銃かなにかで、ズドンッとやられたらおしまいだ。いくら香港と言えども成龍ジャッキー・チェンは出動してくれないのだ。だが、ここは日本式にちゃんと囲いがあるキャッシャーである。しかし、CITI BANKのカードがなければ入れないというやつだ。だから、僕と一撃さんは入れないのかというと、そう厳しくはない。フリークさんが開けたとき同時に入ってしまえばいいのだ。今日は雨が降ってもおかしくないぐらいの熱気と湿気の多い日なので、中のエアコンでコントロールされた空気はありがたかった。サッと、少し滲んでいた汗が徐々に引いていく。しかし、終わって再び外気に触れると元のモクアミになってしまった。
猫娘シャーリーさんの職場がある、時代廣塲タイムズスクエアに行ってみますか。今日シャーリーさんいないけど」
 フリークさんが提案した。もちろん賛成。シャーリーさんは休暇でタイに旅行中。日本から単身、香港に渡って香港ドリームを実現させた細腕敏腕スーパー女性である。
 もちろん〔猫娘シャーリー〕というのはハンドル名。NIFTY-Serveのとある場所でフリークさんが発掘し、HKF-HPに連れてきた香港在住の貴重な人材のひとりだ。あの、超パワフルメガトンOLうえらんちゃんも一目置いてしまっている人物である。〔シャーリー〕は本名の〔しおり〕が香港人が発音しにくいらしく、付けられた彼女のイングリッシュネームだ。〔猫娘〕は渡港の際に彼女に会ったHKF-HPのメンバーが、彼女のスレンダーな、ナイスバディと敏捷な身のこなし、可愛いが決して媚びない凛とした性格、けれどどこかにほどよい孤独感を漂わせているのが男ごころをくすぐるのよぉ〜…そんなところから自然と呼ぶようになった。HPへの書き込みにもみんながハンドルの〔シャーリー〕にかぶせるので強制改名みたいな形で〔猫娘シャーリー〕となってしまったのだ。彼女はカタログ通信販売会社の香港支社コンピュータ室長という肩書を持つ、クリスタルちゃんという超かわいい秘書まで付いている超エグゼクティブスンゲー偉い人なのである。と、いっても僕と同い歳だけど。同い歳でもえらい違いである。なんでなんで? おしえてえらいひと! そして彼女の驚くべき過去が、何気ない会話から先日本人によって告白されたのである。

▼ 壮絶なる秘密!猫娘の正体
 猫娘シャーリーさんは、香港に住んでいる。香港と言えば、それはなんと言っても、香港映画である。香港映画と猫娘シャーリーさんのかかわりとは?
 香港では映画の製作本数が日本の比ではない。初期の頃には、日本の映画人が技術援助をしたというが、今では日本映画が失ってしまった物を独自の形で増幅させ続けている。貪欲なまでの映画への情熱が、今なお煮えたぎっているのが香港映画〔電影〕なのである。映画が娯楽の王様なのだ。日本のように映画館に来る客よりレンタルする客が多いなんてことはないのである。それに観客動員が多いということは商売として充分成り立つから、料金も安い。日本の半分以下である。だが、娯楽の王様だけあって、観客の眼も肥えている。面白くない映画はいくら人気の俳優が出演していようと、二、三日で打ち切りということはザラである。それでも、製作本数が多いから困らないわけだ。厳しいショービジネスの世界である。
 香港映画の中にも日本人はたくさん活躍している。大島由加里という女性は日本で東映の特撮テレビ映画などで活躍した人だが、現在香港に渡り、アクションのできる女優として日本にいた以上に大活躍をしている。ボディビルの百恵ちゃんこと、西脇美智子も香港映画でアクション女優として大人気だ。
 そしてもっと前から香港映画で活躍している日本人俳優がいる。ブルース・リーや洪金寳サモ・ハン・キンポー成龍ジャッキー・チェンらと共演回数も多い、日本が誇れる唯一のカンフースター倉田保昭である。
 猫娘シャーリーさんは、香港に住んでいる。香港は映画の製作が盛んだ。香港映画にも日本人がよく登場する。廣東語が理解できて、なおかつ芝居がそこそこできるということになると貴重な日本人となる。俳優を本業としていない人でも香港映画にお呼びがかかることがあるのだ。シャーリーさんはそんなこんなでもう何百本という作品の日本語セリフ吹き替えや、出演、おまけにCMにまで出演してしまっているというのだ。でも、いくらなんでも、コンピュータ室長が、クリスタルちゃんという超かわいい秘書まで付いている超スーパーエグゼクティブ偉い人が、映画の吹き替えやCMに出演したりするのはちょっとあまりにも畑違いだと思いませんか? ところが、違うのである。なんと猫娘シャーリーさんは、日本にいるときには、日本が誇れる唯一のカンフースター倉田保昭の倉田アクションクラブに所属し、ドラマや映画で危険なアクションを次々こなすスタントウーマンをしていたと、衝撃の事実を告白したのだ。骨折か何かのケガで辞めざるをえなくなったというがその時はテーピングで撮影は続行したという。
 そんな猫娘シャーリーさんの香港ドリームサクセスストーリーの序章は『職は香港に在り』(千厩ともゑ著/ダイナミックセラーズ出版刊/一五〇〇円)に詳しく載っているので、ぜひ一読をおすすめします。この本の一/三は香港就職事情とシャーリーさんのような人達のサクセスストーリー、残り二/三は香港での仕事の見つけ方と生活情報という具体的なデータ。この生活情報が僕ら単なる香港好きの人間にも資料としてとても役に立つのだ。
 結局のところ、タイに旅行中なので、今日時代廣塲タイムズスクエアに行ったところで猫娘シャーリーさんに会えるわけではないのだが、彼女が仕事をしているその場のエネルギーでも感じ取りたいと思ったのである。

▼ 大成功を祝って客家料理を!
「何だか、一撃さんやうずらまんさんと一緒だと、香港に来た気がしないなぁ。大阪のミナミを歩いているみたい」
 とフリークさんは言う。確かにそうかもしれない。街や人の雰囲気は大差ないものなぁ。
 銅鑼灣トンローワンは本当にお洒落なビルの裏側にはごちゃごちゃとしたハイパーな人、物、自動車などが渦巻く生活空間が広がっている。近くに維多利亞公園ビグトリアパークという憩いスペースもあり、実にバランスのとれた街だ。もし僕が香港島に宿を取るなら、銅鑼灣がいいなぁと思う。そしてもうすぐそこに、時代廣塲が迫っていた。
 目の前に、デッカいビルがあった。直線で構成されたデザイン。大きな吹き抜け。地下鉄の駅に直結している。入口前では、特設ステージの解体の最中だった。機材の撤収が行われている。何かイベントがあったのだろう。アイドル誰か来たのかな? とにかく食事だ。エレベーターを探す。すぐに見つかった。ドヤドヤッと四人で乗り込む。他にも客あり。エレベーターの最高階まで上がる。ずっとショッピングゾーンのようだが、オフィスはどこにあるのだろう。なんとなくビルの中は大阪ビジネスパークのツイン二一に似ていなくもない。何階かはよく覚えていないが、とにかくエレベーターはそこまで。しかし、これでお終いではないのだ。後はエスカレーターだ。いろいろなレストランが入っているが、なんとなくどこも高そうな感じだ。これはけっこうヤバイ状況かもしれない。フリークさんたちと僕とは予算のレベルが違うと思われるからだ。う〜ん、こんなことなら、強引に廟街の海鮮の大牌档タイパイトンに連れていけば良かった…。しかし、これから先僕の旅行のパターンからいって、こんなお洒落なビルのおしゃれなレストランで食事ということは考えられないので、このチャンスを逃すのももったいない。ここは黙って自らの運命に身を委ねることとしよう。するとフリークさんがキラリッと眼を輝かせて言った。
客家料理なんてのは、どうです?」
 客家ハッカというと、僕はあの独特の帽子しか頭に浮かばない。中国の一民族の名前らしい。香港でも客家料理はめずらしいらしい。「香港観光協会のサンブンさんのお勧めなんですよ」という。どういうのが客家料理か、僕にはわからないけど、もうこうなったら何でも来いだ。
「シャーリーさんは『あたしの好みじゃない』って言ってたんだけど」
 う〜ん、それなら逆に興味がわいてきたぞ。店の外の電光看板の豆腐のくり抜いたのにミンチ肉か何かをつめてある、土鍋の湯豆腐みたいなのが、なんとなく美味そうだ。というわけで、我々は客家料理の〔客都海鮮酒家〕に突入した。
 ん? 突入したのはいいが、客がいないぞ。ひろい店内に、白いクロスの丸テーブルが、そう一二、三あるだろうか。従業員がやたらといるが、そのどれもに客は座っていないのだ。しまったまずいみせにはいったかいやまてよきのうのこともあるけどしまったまずいみせに…思考回路が急速に回転する。考えが単純に堂々巡りしているだけというウワサもあるが…。とにかく案内された真ん中の丸テーブルの各席に静かに着席したのであった。


▼ 二人の香港フリーク 裏か表か!
 さっそくメニューを持ってきてもらって、あと注文は一撃さんの英語任せだ。ボーイさんも、英語がわかる人がやって来た。この店のこういう対応はけっこうテキパキしていて気持ちがいい。今日のこの四人ではあまりグルメの人はいないので、料理についてもよくわからないまま、漢字との感じと英語から、材料を推理し、頼んだ。先ずはじめに来たのが、ホタテの炒め物。これは無難なというか、余所でも同じようなものがあるよなぁ。けっこうおいしいけどね。そしてフカヒレスープとハトの唐揚げというか丸焼きというか。フカヒレスープはどれがフカヒレかわからないまま食べおわった。まあまあおいしかった。だいたい僕はスープが好きなのだ。ハトははじめ全くハトだと思わず食べていたのだけど、カシワに似て、僕にとっては好物の範囲だ。こうばしくて美味しい。一撃さんは先日やったというシャーリーさんの行動を再現して頭部をまるかじりしてニッと笑って見せた。そしてキノコのスープ。スープというよりもキノコの煮物に汁が少しという感じだ。そして肉詰め湯豆腐と福建炒飯。これはどちらも最高においしかった。肉詰め湯豆腐の汁には豆も入っている。この豆まで美味しいのだ。ひょっとしてこの豆、ピーナツ? 克美さんは、
「ああ、このお汁で雑炊したらおいしいだろうなぁ」
 とつぶやいた。
 克美さんは、いつも鋭い観察眼で収拾した情報で、日本に帰ってから、その食べた料理を家庭の食卓に正確に再現してみせるという特技を持っているという。フリークさんはとても幸せ者だぞ。僕なんかぼんやり料理を見てぼんやり味わっているだけだ。だから感想といっても「おいしい」ぐらいの陳腐な語彙しかもちあわせていないのが情けない。それ以前に料理の能力がないということが問題なのだが…。
「フリ小野さんがこの場にいればなぁ。詳しく料理の話がきけるのに」
 誰からともなくそんな言葉がこぼれた。実は〔香港フリーク〕というハンドルを使っている人がもうひとりいる。それが〔香港フリーク小野さん〕なのだ。略して〔フリ小野〕さんと呼ぶ。(青柳氏のコラムに登場している〔香港フリーク〕さんはこちら)ふたりいると区別がつかないが偶然にも別々の場所で同じハンドルを使っていたという。一部のところではやはり混乱も起きていたらしい。それ以来斎藤さんを〔元祖香港フリーク〕さん、小野さんを〔本家香港フリーク〕さん、と区別することになった。元祖香港フリーク斎藤さんが開いているHKF-HPでは主の香港フリーク斎藤さんに敬意をはらって、本家香港フリーク小野さんが省略ハンドルの〔フリ小野〕を名乗っているということなのだ。ああ、ややこしい。この僕の駄文の中では、ふだんの馴染みから、斎藤さんを香港フリークSさん、小野さんをフリ小野さんとお呼びすることにさせてもらいます。

▼ CDハンターまたまた出動!
 で、とにかく今夜はとても美味しい料理を満喫できたのだった。腹はちきれんばかりに食べて一人ほぼ二六〇HK$とはやすいではないか! まだ時間があるので、どこかでお茶でも、ということになり、とにかくキョロキョロ時代廣塲を見物しながら下に降りて行き、適当な店を見つけることにした。
「去年来たときには、まだテナントはこの半分も埋まっていなかったですよ」
 とフリークさんは言う。だいたい僕ははじめてだからわからないが、フリークさんたちはまだ塗料と接着剤の臭いが充満する、去年のオープンしたてのここにすでに来ているのだ。この場所は、以前操車場か車庫か何かの鉄道関係の施設があったところらしい。それが撤去され跡地にこんなおしゃれビルが建ったということなのだ。梅田みたいだなぁ。
 いろいろ眺めながら降りていく。もうすでにその時間では閉まっていたが、アイドルのマグカップを売っている店があった。周慧敏ビビアン・チョウのは見えなかったが、張曼玉マギー・チェンや郭富城アーロン・クォック、劉徳華アンディ・ラウなどのが置いてあった。良く探せば周慧敏のもあったかもしれない。だが閉まっていてはどうしようもない。
 そしてもう少し降りていくと、やがて大型レコード店〔Tower Record〕が見えてきた。当然入るのだ。もちろん周慧敏のCDを物色する。もうここでは他のことは僕の意識から完全に消失してしまった。
 だが、ここでも僕の前に立ちふさがる問題は、午前中に一体何を買ったか正確に覚えていないということであった。しかし、この〔Tower Record〕では、スペシャルパッケージのものが見つかる。一つは縦長で、箱の写真がすばらしく美しい。今まで何枚も周慧敏の写真を見ているが、これほど美しく撮れたものはないだろう。これは箱だけでも価値がある。そしてもう一つはフロッピーケース入りのミニアイドルカレンダー付きのもの。中身がどんな物かはわからないが、これは買っていないという自信がある。そういうパッケージのものを三つばかり掴んだ。もたもたしている客のせいでレジが停滞して、すっかりフリークさんたちを待たせてしまった。そして僕はお宝をかかえて満面の笑みをたたえながら〔Tower Record〕を後にした。
「こんなところはどうですか?」
 フリークさんが指さし示したのは〔ハーゲンダッツ〕であった。僕は甘いの大好き、アイスクリーム大好きだから、文句なし無問題だ。一撃さんもそう嫌いではないらしく、二次会はあっさりとそこに決定した。

▼ 死の彷徨 捜し求めて!
 店のちょうど真ん中のテーブルへ。セルフサービスかと思ったが、ウエイトレスがメニューを持ってやってきた。そういえば、日本ではハーゲンダッツのアイスは食べたことはあったが、今までこんな座るところのあるハーゲンダッツには入ったことがなかった。
「では、私が決めましょう」
 そう言ってフリークさんがみんなの注文を決めた。どうせなら面白いものをということなのだ。どうも量的に食べられないと思った僕は、注文を単なるバニラアイスに変更した。一撃さんは〔ロシアンレディ〕、フリークさんは〔オレンジコーヒー〕、克美さんも僕と同じようなおとなしめのものにしたようだ。さて、注文したものが来るまでのあいだに、さっき購入したお宝を見てみよう。まず、周慧敏のスペシャルボックス縦長のやつ。開けてみるとCDシングルがたくさんと、ミニ写真集が入っている。ほほう、このCDシングルは一曲入りだ。九四年度のベストのチョイスらしい。なかなか楽しい企画だ。
 ここで、ある事実に気がついた。銅鑼灣に到着してからかなりの時間になるが、オシッコしていないのだった。ちょうど一撃さんも行きたかったらしく、連れションすることにした。さて便所を探すのがけっこう大変だった。いろんな人に訊きまくり(といっても、全部一撃さんが英語で訊いてくれたんだけど)上へ行ったり下に行ったりしてようやく、一番きれいなオネエちゃんの言った通りの場所にみつけることができた。店内に表示が一切ないのである。え?関係者以外入っちゃいけないんじゃないの?と思えるような、売り場の端っこのドアその上にやっと小さな表示を発見。それを押して開けるとまだ長いローカがつづいていた。どんどん奥に入っていくとどうも不安になってくる。このままどんどん進んでいって、ほんとうに無事で帰ることができるのか? なんらかの犯罪に巻き込まれるのじゃないのか? その先に二丁拳銃の周潤發チョウ・ユンファが楊枝をくわえて立っているんじゃないのか、それともいきなり元彪ユン・ピョウが飛びだして壁蹴りのUターン飛び蹴りをかましてくるんじゃないのか? 走馬灯のように香港映画のアクションシーンがフラッシュバックする。僕はご存じの通りアクション派ではない。必要以上の緊張感の中、たったひとつの安心は、一撃さんが少林寺拳法、空手を究めた格闘派の礼儀正しい秋元康だということ。これに懸けるしかないのだ。
 かなり長いローカだった。周潤發にも、元彪にも泰迪羅賓にも出会わず、ようやくトイレに到達した。そのローカはトイレに行くためのものではなく、もっと内部に続いていた。その途中にトイレがあったのだ。この奥には、我々の知らない暗黒の世界があるに違いないのだ。しかし、その誘いには乗らずトイレに入った。中は別段どうということのない、日本と同じようなトイレだった。だがまだ僕は緊張が持続しているらしく、そのトイレの中にいた先客の香港人であろう若者の目つきがやたらと怪しく思えるのだった。しかし無事に完了。身も心も軽やかになった僕たちはハーゲンダッツをめざして歩みを進めた。
 そのころハーゲンダッツの真ん中の席ではフリークさんたちが、
「一体どこまで行ったのや?」
 と、ここだけ大阪弁で我々の帰りを待ちわびていた。もうすでに僕が広げたままにしていた周慧敏ヴィヴィアン・チョウグッズもキチンと片づけてもらっていて、アイスも届いていたのだ。
 長いローかを戻り、そしてビル内もかなりの距離を歩いたのでなかなかすぐには戻れない。千里の道も一歩から、九〇九里をもって半ばとせよ、の言葉通り、やがてあの懐かしいハーゲンダッツの灯が見えてきた。

▼ さよなら時代廣塲よ!
 さあ、それではもうすでに到着しているアイスを存分に賞味することとしよう。
 一撃さんが頼んだ〔ロシアンレディ〕は、まさしくアエロフロート機のスチュワーデスのように、かなり大柄で化粧っ気も全く無い、共産圏のごっついオバちゃん風の豪快なフルーツ盛り合わせアイスだ。豪快なアイスは後に非常に豪快な結果をもたらすことになるのだが、この時の我々には全くもって知る由もなかった。
 そして〔オレンジコーヒー〕は、飲んだとたんに、
「こっこれ、オレンジって言うより、オレンジの皮の味がするよぉ」
 と、顔の下半分に三二%の泣き顔を呈しながら困った犬のような表情を見せながらフリークさんは言った。僕のバニラアイスは、一撃さんやフリークさんのほどのインパクトはないが、じつに基本的で堅実な、ハーゲンダッツアイス本来の美味しさを味わうのにもってこいのものだった。それにアーモンドの香ばしさとコーヒー風味を加味した克美さんのアイスも、燻銀の美味さを味わえたことだろう。
 ここでも色々な話が出た。とても書ききれないし、書けない話も飛びだした。そして、どんどんと楽しい時間は足早に過ぎていくのだった。
 一〇時を回った。スターフェリーの最終は確か一〇時台だったはずだ。僕と一撃さんは地下鉄で中環まで行き、そこからスターフェリーで香港島方向の夜景を眺めるささやかなナイトクルーズを楽しみながら、ホテルに帰るつもりなのだ。クリスマスシーズンだから普段よりも電飾が多いのだ。早くしないとスターフェリーはカボチャに戻ってしまう。
 エスカレーターで下っていくと、スーパーがあった。フリークさんたちは夜のおやつを買うという。お酒とおつまみだ。僕らもそう言われるとおなかが空きそうに思えた。一緒にスーパーに入る。
 子供へのみやげにミニ〔ケロッグ〕の六個パック、そして会社関係のみやげにチョコレートなどを購入。僕の夜の飲み物は、ちょっとプラスチックのボトルに入った不思議なジュースだ。これはボトルの絵と〔新鮮・酸梅汁〕という言葉からすると梅味のジュースらしい。酸っぱいのだろうか? とにかく探究心が刺激されたのでそれを購入した。他にも何かと探していると一撃さんが、
「もうフリークさんらは出口におるでぇ」
 と言った。また僕がぼんやりとショッピングを楽しみ、グズグズしている間に、人を待たせる結果となってしまったのである。
 やっと時代廣塲タイムズスクエアの外に出た。すぐ近くに、最近HKF-HPで話題となっていた。粥屋の電飾看板がある。その斜め前に映画館があった。気になって立て看板を観ると『賭神二』と出ている。これは周潤發の最新作で『ゴッドギャンブラー/完結編』のロードショー公開である。観たいとは思ったが、時間切れだ。ふと、何かに目が止まった。猫だ。映画館の前にちょっとした植え込みがあり、そこにキジネコがいたる。そういえば犬はレパルスベイで見たけれど、考えてみれば香港で初めて見る猫だ。まあ、たいがいがビル街ばかりを歩いているのだから、猫を見ないのも当たり前と言えば当たり前の話だが。
 それでは、ここらあたりでお別れだ。フリークさんは、
「今度は妻も一緒に大阪へ行きます」
 と固く約束をしてくれた。フリークさんたちにお礼を述べ、僕と一撃さんは地下鉄の駅へともぐった。ふと、ふりかえりフリークさん夫妻の後ろ姿を遠くに見送る。コンビニ袋を下げて帰るお二人は僕に負けないくらい香港と同化していた。まるで柿木坂の自宅へ帰るかのような気楽さで歩いている夫妻であった。

▼ 脂汗!地下鉄で小刻みに震える男!
 香港の地下鉄はイギリス製の車両である。日本の電車と少々様子が違う。僕は鉄ちゃん(鉄道マニア)ではないので、専門的なことはよくわからないが素人目に見てもちょっとおもしろいのだ。先ず、ドアだ。日本の電車の場合、ドアはほとんどが戸袋の中に入っていって開き、そして戸袋から出て閉まる。これが香港の地下鉄はドアが車両の外側に剥き出しで、戸袋というものが存在しないのだ。
 そして中に入って、目につくのが、吊り革である。固いスプリングの先にアメリカンクラッカーのようなプラスチックのボールが付いているだけだ。輪っかがないのだ。つまりボールを握るというわけ。そしてもっと変なのが座席である。シートはツルツルのステンレスなのだ。これって、冬冷たくないのかなぁと思って座ってみたらやっぱり冷たかった。それに停車、発車の際にやっぱり座っている乗客が多少なりとも横滑りしているのを、きちんと確認したぞ。何かの事故で急停車しようものなら、三両先の車両まで滑って行きそうな気配だ。それでもみんな文句も言わずに座っている。ま、言ってても僕にはわからないのだけど。
 さて、地下鉄は銅鑼灣トンローワンを出発し灣仔ワンチャイに停車。ここでどっと人が降りていった。乗り換え駅だからだ。行きにみた尼僧軍団はもういなかった。ん? 一撃さんの様子がおかしいぞ。妙に青ざめた表情で、ガラガラに空いた座席に座り込んでしまった。
「おなかがあきませんワ〜」
 もう声に力がこもっていない。あの、少林寺拳法と空手を究めた武道者〔一撃必殺〕のハッスル声ではなくなっている。まるでミジンコの幽霊がインフルエンザで三日間寝込んだような声なのだ。
 本日は昼からかなり大量の食品を摂取している。僕よりもたくさん食べている一撃さんが、先程のハーゲンダッツでごっついロシアンレディを食べたためにおなかがエマージェンシーコール発令状態になってしまったのである。ドアが閉まり、地下鉄は再び発車した。
 一撃さんはOASYS Pocket3を取り出し、また通信のレスを書きだした。一心不乱にキーを叩くことで、気をまぎらわせ、この非情なるスクランブル状態を、一気に克服しようという作戦である。しかし、それとて、三分とはもたなかった。眉間に三〇本ほどの縦ジワを寄せて、身を蛇のようにくねくねよじって苦しみだした。やがて地下鉄は停車した。一撃さんの顔にやや希望の光が差し、苦しみのなかにも立ち上がる勇気とエネルギーが湧いてきたよ