うずらまん「ぎょぎょ〜む日誌」

おはようからおやすみまでできるだけ楽しくと願う、うずらまんの日記。

ふくらはぎのこむら返りは富士山の山

▼夜中の1時過ぎ、激痛で目覚めました。久々の。右ふくらはぎのこむら返り。治るまで時間がかかったし、今も痛みが残っています。筋肉の緊張により左右の弁慶の泣き所側も痛い状況。たまにというかけっこうしょっちゅうだけど今回のは強烈でした。
 
▼僕がその激痛に耐える中、様子を察知した係の者が駆けつけてくれましたが、なんととなりでスマホをいじっているんです。Twitterでもしてるのか薄情な!と思ったら、こむら返りの痛み中の対処方を“検索の女王”の名にかけて探してくれていたのでした。いやはや、感謝(笑)

▼珍しくこないだまでやってた『東京タラレバ娘』というマンガ原作のドラマにハマっていました。主演は吉高由里子。吉高さんってそんなに追っかけてるわけではないのですが、好きな女優さんなんです。まあ、それは置いといて。
 あのとき「〜してれば」「〜してたら」と後悔しているアラサーの女子の物語でしたが、この「タラレバ」ってそういう風に考える人も居るのだろうと理解はできますが僕自身はこれがほとんどありません。
 半世紀以上生きてきたらいくら平凡な人生(実はそうでもないけど)の僕でも、日頃の買い物から人生の岐路というような瞬間も幾度もあったわけです。どっちを選ぶとかいくつかの中から選択するというシーンが。でもそれを後悔するということがほとんどありません。特にベストの選択をしてきたと自慢しているわけではありません。納得した選択の結果だと認識しているだけです。
 後悔する人というのは、よっぽど自信のない人なんでしょうか。それともその選択は自分のせいじゃないと思いたい人なんでしょうか。つまり現実から眼を背けた人でしょう。現在の自分の状況というのは、結局誰が決めたわけでもない「自分の決めたこと」なんです。そこを見ようとしていない。
 経済的に自立できない子ども時代でない限り、自分で決めなかったことはないのです。恋人との結婚を親に許してもらえなかった。それは親と恋人を天秤に掛けて親を取ったのは自分だったわけです。親を振りきってでも恋人を選択しなかったのです。誰かのせいにするというのは、子どもだということ。自立していないということ。
 現実は見ないのに空想の理想像だけはしっかりと描き出してそっちは見てる。それと比較して後悔する。仮想の上に仮想の屋上屋を建てているのです。もうその後悔自体が現実逃避なんですね。同じ現実逃避ならもっとエンタテインメントな方がいいな。

▼こむら返りの「こむら」はふくらはぎのこととか。「ふくらはぎがこむら返り」は「馬から落馬」「富士山の山」式ですね(笑)

▼今日の晩ご飯は、焼きめしの予定。